永禄
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室町時代においては改元は朝廷と室町幕府の協議の上で行われてきた。それはたとえ将軍が京都の外にいたとしても変わらなかったが、この改元は将軍・足利義輝を京都から追放していた三好長慶との相談の上で実施された。事前にこの事実を知らされなかった義輝は激怒して、長慶に対して挙兵し、「弘治」の元号を用い続けた。また、諸大名の間でも「弘治」を使い続ける者と、「永禄」に改める者で分かれた。結局、永禄元年の終わりに長慶と義輝は和睦したことで、「永禄」改元が日本全国で承認されることになるが、これは天皇を掌握している長慶と対立した将軍である義輝が「朝敵」になる事態を回避する苦肉の策であった[1]。
6年後の永禄7年の甲子革令の時も、三好長慶の側から改元の申請が行われた(当時の武家伝奏・広橋国光の妹婿は長慶の重臣である松永久秀で、国光を介して上奏された)。しかし、足利義輝と三好長慶の対立が収まらない中での改元実施が京都における軍事衝突に発展することを警戒した正親町天皇は、改元を実施しない決断を下すことになり、次の改元は長慶・義輝の死とその後の戦乱を経て、織田信長の援助を受けて将軍に就任した義輝の弟・義昭が主導する形で行われることになる[2]。
出典
永禄期におきた出来事
- 元年
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- 4年
- 5年
- 6年
- 8年
- 10年
- 11年
- 12年
誕生
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- 11年