1887年(明治20年)に神戸市で生まれた[2]。父は神戸又新日報副社長を務めた炬口又郎[3]。神戸市の親和女学校卒業[4]。その年、淡路島の川畑隆平と結婚[4]。
結婚3年目を迎えた頃、ひとり娘の母となり、加寿と名付ける[2]。後の歌人・杉村けい子である。しかし、加寿が3歳になったばかりの1909年(明治42年)、夫と死別する[4]。
1913年(大正2年)、亡夫の友人前田夕暮主宰の『詩歌』に入門する[4]。同じく『詩歌』同人であった清水白花との相聞歌で誌面を騒がせた[5]。また娘の杉村けい子は、別の同人、田中白夜を恋人に擬した作品を引用している[5]。1922年(大正10年)に上京して夕暮と初めて対面するが、夕暮との関係で誤解を受けるような風評が立って苦しむことになる。1925年(大正13年)、『日光』同人になる[4][6]。『日光』廃刊後、1929年(昭和4年)に北原白秋主宰の『香蘭』同人となる[4]。その後、杉浦翠子と脱退[4]。
1932年(昭和7年)に代表作として『白い扇』を刊行、1934年(昭和9年)に『川端千枝全歌集』を出版する[4]。自然主義的な歌風に出発し、抒情の豊かな歌風を貫いたとされる[2]。
肺結核を発症し、5月頃に回復の兆しがみえるも夏に入る前に、症状が悪化し始める[2]。1933年7月4日午前11時に死去。46歳で死没[2]。
没後に吉屋信子が『ある女人像 近代女流歌人伝』(1965年)にて伝記小説『淡路島の歌碑』を執筆し[7]、1970年にはそれを原作にした伝記ドラマ『千鳥』が放送された。