埼玉県川越(現川越市)に、父・岩崎紀一、母・サダの六人兄弟の三女として生まれた。旧姓は岩崎翠(いわさき みどり)。次兄の福澤桃介は福澤諭吉の娘婿となった大実業家。
翠子が2歳のときに父・紀一と、3歳で母・サダとそれぞれ死別し、祖母・ミキに育てられる。祖母が死去すると次姉・てるの嫁ぎ先である東京・赤坂の出渕豊保に身を寄せ、国語伝習所、女子美術学校(現女子美術大学)を卒業する。出渕宅の隣に豊保の友人である杉浦非水が居を構えていた。非水は翠子の若い美貌と詩才に激しく惹かれ、明治37年(1904年)に二人は大恋愛の末、結婚する。翠子19歳、非水28歳であった。
「日本の電力王」と呼ばれた兄・桃介に代表される拝金主義に翠子は反発、デザインの世界に進む夫・非水の精神性に夢中になる。翠子は北原白秋に入門、大正5年(1916年)にはアララギに入会、さらに斎藤茂吉に師事する。新進デザイナーと新鋭歌人という経済的に恵まれた夫婦は「モボ・モガ」としてマスコミで持て囃され時代の寵児となった。翠子は情熱的な作品を発表し続けた。
激情的な翠子はアララギの編集兼発行人・島木赤彦らに疎まれ、翠子は大正12年(1923年)にアララギを退会、社会性・批判精神を欠如したアララギの短歌を批判した。昭和8年(1933年)、歌誌「短歌至上主義」を創刊(装幀は非水)、主宰者として主知的短歌を唱える歌風に転じた。
昭和35年(1960年)2月16日、自宅で病没。最愛の夫・非水に5年先立つ死であった。墓所は港区松秀寺[1]