憲法
国家の組織・権限・統治の根本的原理・原則を定めた国家最高法規
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用語の意義
近代的な「憲法」という用語の意義については「国のかたち」を意味する語として捉えることができる。元来は、日本語において憲法という語は十七条憲法のように「きまり」や「おきて」という意義を持つ語であり、例えば「賞罰を憲法にする」といった表現で用いることができた。
単に「憲法」と言って日本国憲法のようなものを想起する場合は、明治時代以降の用法として区別される。近代的な「憲法」という用語の意義は、英語のconstitutionの訳語として確立したものであり、当初、constitutionの日本語訳として「国憲」「国制」「朝綱」といった語が充てられたが、憲法の「憲」は、原義的には目や心の行動をおさえる枠のこと、憲法の「法」は外から当てはめられた生活の枠のことをいい、人の行動や生活に対してはめられる枠として、1882年(明治15年)頃[1]からconstitutionの訳語に「憲法」の語が充てられた[3][4]。
歴史
近代憲法の始まり

近代的な意味における憲法の歴史は、イギリスの憲法史を端緒として1788年に発効したアメリカ合衆国憲法をその始まりとしてみることができる[5]。12世紀のイギリスにおいてヘンリー・ブラクトンが「国王は、いかなる者のもとにもないが、神と法のもとにある」と述べて、国王の統治に対する法の優位を中世的意味において主張した。その思想は、17世紀のイギリスで、国王大権の優位性を主張するジェームス1世に対峙したエドワード・コークによって、法の生命が理性に根ざすものであること、そしてその理性とは自然的なものではなく、裁判官の判断を通して得られる人為的な理性でなければならないという司法の優位を主張し、これがコモン・ローの優位という近代憲法の原型となった。このように、国王をも拘束する高次の法という思想や、ジョン・ロックの社会契約論的思想の影響により、社会を構成する人々の合意としての憲法を制定しようとする動きが現れた。これを歴史上初めて実行に移したのがアメリカ合衆国であり、アメリカ合衆国憲法は、2026年現在、世界各国の現行憲法の中で最も古いものとされており、伝統的な王権のない新大陸(北アメリカ大陸)で建国されたアメリカ合衆国において、議会・大統領・裁判所の権力分立をはじめとする[6]近代憲法の特徴が形成された[7][8]。
アメリカ合衆国憲法をはじめ、この時期に制定された近代憲法は、主として国家権力から個人の自由や権利を確保すること、すなわち自由権を重視してつくられたものであり、政府は不当に個人の領域に介入すべきではないという考えから、教育を受ける権利や生存権といった権利が規定されることはなかった[9][10]。

前述の、中世イギリス以来発展した思想は、近代憲法の歴史において1803年にアメリカ合衆国最高裁判所で判決されたマーベリー対マディソン事件において「憲法に違反する法律が国法たりうるか」という問題に対し、アメリカ合衆国最高裁判所は「成文憲法を制定したすべての人々は、基本的かつ至上の国法を制定していると考えていたことは疑いなく、したがって、そこでの統治の理論は、憲法に反する法律は無効であるということにならざるをえない」と述べ、何が法であるかを述べることは、明らかに司法部の判断領域に属することであり、またその義務である」と宣言し、法律が憲法に適合するかしないかを審査する違憲審査権を慣習上確立した[11]。しかし違憲審査権の考え方は、議会が制定する法律を無効にしうる点で、議会が国の最高機関とする議会中心主義を採る19世紀のヨーロッパ諸国に容易には受け入れられなかった[12]。
もっとも、それは判例上成立したものであって、アメリカ合衆国憲法に違憲審査権を認める直接の規定はないことから、違憲審査権の憲法上の根拠をどこに求めるべきかについては、なお議論の対象となっている。この点、マーベリー対マディソン事件においてアメリカ合衆国最高裁判所は、違憲審査権を「成文憲法に本質的に付随しているもの」という黙示的承認を強調している[11]。
20世紀憲法

社会権・男女同権の創出
20世紀より前の憲法が国家権力からの自由を重視していたのに対し、20世紀憲法の一般的な傾向として、政府が積極的に国民の教育に関与し、福祉を増進しようとすることが挙げられる。第一次世界大戦以降、1919年にドイツで制定されたヴァイマル憲法を淵源として、教育を受ける権利や就学の義務、生存権など、国家による自由[13]と称される「社会権」の保障や、女性参政権や男女同権をはじめとする「法の下の平等」を規定する憲法が現れはじめ[9][14]、このような考え方の憲法は、第二次世界大戦後には世界各国に広まることとなる[15][16]。
違憲審査権の普及
前述したように、19世紀のヨーロッパ諸国に容易には受け入れられなかった違憲審査権の考え方は、20世紀におけるファシズムの台頭や議会制民主主義の危機、人権侵害の経験を経て、第二次世界大戦後からヨーロッパの多くの国で違憲審査権が導入され、裁判所を中心とする違憲審査権のある機関が、人権保障の機能を担うに至った[12]。
第二次世界大戦後の憲法
侵略戦争の放棄や非核条項の増加
第二次世界大戦後、国際連合憲章第51条において各国の自衛権を明示的に認めたことで、各国の憲法も、侵略以外の自衛や制裁としての武力の行使と、軍隊の保持を容認している。1981年1月1日に発布された[17][18]パラオ共和国憲法は、世界に先駆けて[19]、その第13条6項において「戦争での使用を目的とする核兵器、化学兵器、あるいは生物兵器などの有害物質、原子力発電所及びその廃棄物は、そのために実施される住民投票で4分の3の承認を得ない限り、パラオ領内での使用、実験、貯蔵あるいは廃棄をしてはならない」と規定した[20][21]。それ以降、非核化に言及する憲法がみられるようになってきている。前述のパラオ共和国憲法のほか、オーストリア共和国の憲法も、原子力発電所の禁止を明確に規定している[22]。
性質
近代憲法の特徴
憲法は、公法に分類される法である[23]。近代以降における憲法は、基本的に「人民の権利義務」「統治機構に関する規定」「国家権力の恣意的な発動を制限する法体系の頂点にあること(最高法規性)」が定められ、国家権力を制限する作用を有すること特徴とする[24]。憲法は、その国を形成する自然人のどのような意思が国の意思とみなされるべきかを定める法であり、国を統治する権利が誰に帰属するかを定め、憲法により国の意思を強制する正統化された力を獲得する[7]。
憲法制定権力と憲法によってつくられた権力
憲法をつくる権力、すなわち憲法制定権力と憲法がつくられたことによって生じた権力、すなわち憲法に定められた統治の形態として設置された政府機関の権力とは区別される。憲法を制定する前者の権力は国民に存する一方、憲法によって設置された政府機関の権力は、憲法を制定する行為によって設置された政府機関が、国民から委任を受けて、その条件の下で行為するのであり、それらの条件を政府機関が独断で変更することはできず、憲法の範囲内でのみ活動することを許されたのであって、政府機関の行為は、憲法と合致する場合にのみ、法的拘束力を要求することができる[25]。
自由や権利の保障
「人権」としての保障

近代憲法における人権の保障は、人の生来の自由や権利の名において、国家が国民を支配する限界を示そうとするものであり、ジョン・ロックやジャン=ジャック・ルソー、シャルル・ド・モンテスキューなどの主張した自然権思想や社会契約論の影響を経て、18世紀末に開花したものである[26]。また、宮沢俊義や芦部信喜が主張する古典的な見解として、人間が社会を構成する自律的な個人として自由と生存を確保し、その尊厳性を維持するため、それに必要な一定の権利が当然に人間に固有のものであることを前提として認め、憲法で確認していなくても、憲法の成立以前に人に備わっている権利を、実定的な法的権利として「確認」したものという説がある[26][27]。
日常会話において「人権侵害」が語られるとき、隣人や会社の同僚などによる、相手の人格を無視するような言動が問題とされることが多いが、法律家にとってはこのような用語法は誤りであり、人権は国家に対抗する権利であって、隣人や同僚などの、いわゆる「私人」に対して主張しうる権利ではない。
「憲法上の権利」としての保障
前述の、人が生来有する自由や権利を憲法が確認したものという説に対して、憲法で宣言される自由や権利を「人権」と「憲法上の権利」に区別する議論がある。ここでいう「人権」とは、自然権思想によって導かれるような、人が人であることのみによって持つとされる権利のことをいう。そしてこのような「人権」は、日本国憲法第11条によって「この憲法が国民に保障する基本的人権」「侵すことのできない永久の権利」とされたりする[27]。ところが、それに続く日本国憲法第12条においては「この憲法が国民に保障する自由及び権利」という表現になる[28]。
松本和彦は、憲法に人権保障を定める理由として、それは自然権を憲法において確認するためというより、国家権力の創出と統制のために、憲法上に権利を規定する必要があったと理解し、とりわけ憲法上の権利は、国家権力を統制するために憲法上に実定化された権利と考えるべきであり、人権とは別に憲法上の権利を観念するところには、人権と憲法上の権利のつながりを一旦切断する契機をみることすらできると述べる。すなわち、憲法上の権利は、国民個人のイニシアティブによって国家権力を統制できるようにするために、憲法によって国民に与えられたものであり、生まれながらに当然享有する権利ではないというべきであるとする[27]。
「人権」が、人が人であるがゆえに認められるものであるならば、すべての人が人権の主体となるはずであるが、奴隷・外国人・女性・子供など、人権が認められなかった「人」もいた。自然権論においては、外国人は社会契約に参加しなかった者であり、憲法上の権利は「社会契約の参加者」にその尊重を約束しているものである。そのため、外国人に対してはそのような約束がないので、外国人は憲法上の権利を有する者ではないのである[29]。
主権者の違いによる権利保障のあり方

人権(自然権)は、自然状態においては、これを保護する機構が存在しないために、自然権の侵害に対する救済が保障されない。そこで、自然権を保障するために国家を形成し、政府を樹立するのであって、ここでいう政府の役割は、私人間で自然権をめぐる争いが起きたときに、各人の自力救済を禁止し、裁判役務を提供することにある。そして、裁判で適用するルールを明らかにしたり、自然権の侵害を処罰するために法律の制定を行う。そして、このような国家の活動について、その際に採るべき手続を憲法に定める。国民主権の国において、自然状態から国家への移行と政府の設立は憲法によって行われるが、そのプロセスには社会契約のすべての当事者が参加するので、国民主権を出発点とし、主権の存する国民が制定した憲法には、権力分立と権利保障が定められる。すなわち憲法は、自然権を保護するために必要な活動において、国家の権力を設立・組織し、権力を授けるとともに、その権力を制限することを目的としている[29]。
これに対しドイツでは、既存の君主が正統な支配者であるとするアンシャン・レジームの論理から出発して、立憲君主制の論理が形成された。そこでは、憲法は、主権を持つ君主が憲法を制定して国民に与えるものである。したがってその憲法で保障された権利は、憲法の成立以前には存在せず、また、憲法に定められた権利以外の権利は存在しないのである[29]。
憲法保障
憲法とは、国の社会経済・政治の制度を定める根本法であり[31]、その最高法規性の侵害は絶えず懸念されることから[32]、現代の憲法には、憲法に反する政治行為を排除し、憲法の最高法規性をまもるために、憲法保障の制度を設けることが一般的である。これは、国民社会主義ドイツ労働者党の台頭を許したヴァイマル憲法下のドイツに象徴されるように、近現代の国々においても、憲法秩序が覆され、又はその危機に直面するという体験を経たことによる[12]。