15のハンガリーの農民の歌
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構成
大きく分けて以下の4部分に分かれる。
- 「4つの古い悲歌」と題した第1曲 - 第4曲
- 第5曲(スケルツォ)
- 第6曲(バラード)
- 「古い(農民の)舞曲」と題された第7曲 - 第15曲(テンポ指示上、まとめて演奏するのが前提になっている)
なおコンサートピアニストでもあったバルトークは自身でもこの曲をコンサートでよく取り上げ、自身でも録音を残している。しかし初演以降は「古い舞曲」の9曲か、第6曲のバラードを加えた10曲でしか演奏していない。
()内は元の民謡のタイトル。
- Rubato (Megkötöm lovamat - 私は馬を繋ぐ)
- Andante (Kit virágot rózsám adott - 私のバラの花は誰に捧げたのか)
- Poco rubato (Aj, meg kell a búzának érni -ああ、麦は熟したに違いない)
- Andante (Kék nefelejcs ráhajlott a vállamra - 肩には青い忘れな草)
- Scherzo. Allegro (Feleségem olyan tiszta - 私の妻はとても純粋です)
- Ballade(Tema con variazioni). Andante - Poco adagio - Più andante - Maestoso (Angoli Borbála - アンゴリ・ボルバーラ)
- ベーケーシュ県のヴェーステー(Vésztő)において収集された歌「アンゴリ・ボルバーラ(Angoli Borbála)」を変奏曲として扱った。歌詞の内容は、結婚前に恋人の子を身ごもった少女アンゴリ・ボルバーラが、それを恥とする母によって死に追いやられ、それを知らされた恋人も彼女を追って自殺するというもの。
- バルトークは妻・マールタに宛てた手紙の一つにおいて特別な言及をしている。「...7つのハンガリーの歌に和声を付け終えた。その中にはエクレシュ・ローザ(Ökrös Róza)の有名なアンゴリ・ボルバーラもある。是非、これを聞いて欲しい、というのも、こんなハンガリー語で、それに加えてアルフェルドのちょうど中心地で、そして更にそれに加えて、7/8の拍節で、本当の感動を聞く事ができるのだから...」(1917年の夏の終わりに[1]。)
- Allegro (Arra gyere, amőrre én - 私が行くところへ来てください)
- Allegretto (Fölmentem a szilvafára - 梅の木に登った)
- Allegretto (Erre kakas, erre tyúk - こっちの雄鶏、あっちの雌鶏)
- L'istesso tempo(quasi trio) (Zöld erdőben a prücsök - コオロギの森)
- Assai moderato (Nem vagy legény - あなたは独身じゃないから)
- Allegretto (Beteg asszony, fáradt legény - 病める女、疲れる男)
- Poco più vivo - Allegretto (Sári lovam a fakó - 私の馬サーリは色褪せた)
- Allegro (Ësszegyűltek, ësszegyűltek az izsapi lányok - イズサップの女の子たちが、集まっている、集まっている)
- Allegro 歌詞のない旋律。バグパイプによって演奏された。
編曲
一部の曲を抜粋する形での編曲作品が存在する。
ハンガリー農民の歌(バルトーク自身の編曲)
バルトーク自身が組曲の第6、第7から第12、第14、及び第15曲の9曲を管弦楽に編曲し、『(オーケストラのための)ハンガリーの農民の歌』(Sz.100, BB 107)という題名で1933年に発表された。第6曲「アンゴリ・ボルバーラ」にはピアノ曲と同様「バラード」、それ以外には「ハンガリー農民の踊り」とのサブタイトルが付されている。演奏時間は約9分。
ウニヴェルザール出版社によれば、音楽的にも技術的にもより演奏しやすいオーケストラ曲を作るという意図をもって編曲が行われたとされる。
ハンガリー農民組曲(ポール・アルマ編曲)
リスト音楽院で1920年から1924年にかけてバルトークの指導を受けた[2]ピアニスト、イムレ・ワイスハウス(1905年10月22日 - 1987年12月2日)は、1933年以降はフランスに活動の拠点を移し「ポール・アルマ」の名前で現代音楽や、バルトークに影響された民俗音楽を基にした作品を書く作曲家としても活動した。
アルマは友人のフルート奏者ジャン=ピエール・ランパルのために、1952年1月末に約1週間で『15のハンガリーの農民の歌』のうち第6曲を除いた14曲を『ハンガリー農民組曲(Suite Paysanne Hongroise)』の名でフルートとピアノのために編曲[2]した。演奏時間は約13分半。
初演は1952年2月19日にソルボンヌ大学の科学館で、フルートはランパル、ピアノは編曲者のアルマが担当して行われた[2]。
アルマは1964年11月にはピアノパートを弦楽オーケストラに編曲したバージョンも作成し、1969年5月5日にランパルのフルートとルイ・オーリアコンブ指揮のトゥールーズ室内管弦楽団によって初演されている[2]。楽譜はどちらのバージョンもバルトークの原曲の版元であるウニヴェルザール出版社から出版されている。