1919年ソビエトのウクライナ侵攻

From Wikipedia, the free encyclopedia

1918年11月12日、レフ・トロツキー率いる共和国革命軍事会議ウラジーミル・アントーノフ=オフセーエンコ英語版をウラル戦線から解任し、10日以内にウクライナ方面への攻勢を準備するよう人民委員会議から命令を受け、アントーノフ=オフセーエンコ他、ヨシフ・スターリンヴォロディミル・ザトンスキーウクライナ語版ゲオルギー・ピャタコフによるウクライナ革命軍事会議が設立された[2]。アントーノフ=オフセーエンコは2日で計画を立て、ボリシェヴィキ軍が都市・工業中心地・港・鉄道の結節点を占領して資源を確保し、そこから労働者からの支持を得ようとした。初動としてはハルキウを占領しそこを拠点にドンバスへ進軍し、次にキーウを占領し、その次にムィコラーイウオデッサといった主要都市含むウクライナ南部英語版黒海沿岸を占領するというものだった[3]

赤軍総司令官イオアキム・ヴァツェチスは、アントーノフ=オフセーエンコの計画案を修正することなくそのまま採用し、作戦の過程で必要な装甲列車といった装備や物資を準備し始めた。ウクライナ方面の司令官となったアントーノフ=オフセーエンコはワシーリー・グラゴレフ率いる予備軍を自由に使って計画を進められると考えていたが[3]、ヴァツェチスは予備軍をピョートル・クラスノフ率いるドン軍英語版アントーン・デニーキン率いる義勇軍英語版からヴォロネジを防衛英語版するという別の任務を与えていた[4]。これはウラジーミル・レーニンの思惑通りでレーニンは南部戦線英語版東部戦線英語版に対する白軍の脅威を撃退することが重要だと考えていた。しかし、トロツキーはウクライナを占領することが赤軍の優先課題であると考えていた[4]。一方、ヴァツェチスとウクライナ革命軍事会議は対立しつつあり、これはスターリン、ザトンスキー、ピャタコフが南部戦線での諸作戦とは別に、自分たちは特別に重要な任務を遂行しているという確信を持ってしまっていたためであった[5]

アントーノフ=オフセーエンコ指揮下には当初、第1ウクライナ・ソビエト師団ロシア語版第2ウクライナ・ソビエト師団ロシア語版そして第9師団がいて、これらの師団には人員は十分にいたが、急を要するほど装備と物資の補充を必要としていた[5]。1918年半ばにウクライナのボリシェヴィキがパウロー・スコロパードシクィイの政府と中央同盟国に対抗するために編成した2つのソビエト師団の質は高くなく、師団に加わった多くの兵は、各々の地元でのみ戦うつもりで、戦場が移ると脱走しだした[6]

1918年11月20日、アントーノフ=オフセーエンコは反ヘーチマン蜂起に参戦し、少なからず形式的には全ウクライナ中央軍事革命会議ウクライナ語版の指揮下にあったウクライナ国内にいる赤軍の前線部隊と非正規部隊の両方に命令を出した[7]。アントーノフ=オフセーエンコはホメリの軍勢に反ボリシェヴィキ勢力がキーウからクルスクブリャンスク方面に進軍してくるのを防ぐために、ホメリでの支配を維持するよう命じた。エカテリノスラフ県ハリコフ県英語版の軍勢に対しては地方で反乱を起こし、赤軍の南進を容易にさせるために小さな街を占領して、長期的にはムィコラーイウの占領を支援するよう命じた。ドンバス北部にいるボリシェヴィキ支持者に対してはゲリラを組織して同地域を制圧するよう、クリミアにいるボリシェヴィキ支持者に対してはクリミアにやってこようとする連合国(南ロシア介入英語版)を撃退する準備をするよう命じた[7]。そしてウクライナ東部英語版の都市において一連の攻撃が開始され、地方での行動も開始された[8]。しかし、11月21日にヴァツェチスはアントーノフ=オフセーエンコに対して軍の拡大と訓練に集中し、ミルレロヴォ英語版にいるクラスノフの軍勢を攻撃する軍を編成するよう命じた[9]。一方でドン・コサック軍は撤退するドイツ軍との合意を得てドンバスを掌握した[8]

アントーノフ=オフセーエンコはヴァツェチスから受けた命令の語調と文言に不快感を覚え、命令を無視することにした。この時、オデッサに連合国軍の部隊が上陸したことを知ったアントーノフ=オフセーエンコは自身の構想によって攻勢を指揮することにした[10]。同時期、ピャタコフとザトンスキーはウクライナでのボリシェヴィキ政府の樹立を開始し[11]、1918年11月28日、クルスクにウクライナ臨時労働者・農民政府が設立された[12]。なお、ボリシェヴィキ政府はウクライナにおける社会主義指導者ヴォロディーミル・ヴィンヌィチェンコ英語版と共産党の国内での合法的な活動を許可する代わりにウクライナ人民共和国の内政へは干渉しないという協定を10月に結んでいたにも拘わらず、軍事介入を行おうとしていた[13][14]

戦闘

出典

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI