1963年11月イラククーデター
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1963年2月のラマダーン革命でアブドッサラーム・アーリフと共にバアス党が政権を掌握した後、バアス党指導部内で、ナセル派と反ナセル派、右派と左派の汎アラブ主義者との間で分裂が起きた。1963年3月8日にシリアでもバアス党がクーデターで政権を取ったが、エジプトのナセル大統領はバアス党主導でシリアとイラクとの統合が進むのではないかと警戒し不信感を示していた。
大統領にはバアス党員ではない元自由将校団メンバーのアブドッサラーム・アーリフが就任していたが、ほとんどの閣僚ポストはバアス党員で占められていた。実質的な統治者はバアス党員のアフマド・ハサン・アル=バクル首相であった。
バアス党イラク地域指導部事務局長アリー・サーリフ・アッ=サアディーがシリアとの統合を支持していた一方で、保守的な軍部はラマダーン革命で処刑されたアブドルカリーム・カーシムの「イラク第一主義」を支持していた[1]。派閥争いに加え、バアス党国民防衛隊の規律のない行動も軍部を反バアス党指導部クーデターに向かわせた。程なくアッ=サアディーがスペインに追放されるとバクル首相はバアス党の維持を考え、国民指導部の会合を召集した。だがこの会合で当時のシリアのアラブ・バアス党の指導者ミシェル・アフラクがイラク・バアス党を支配する意図があることを宣言したことで党の問題をかえって悪化させてしまい、「イラク第一主義」派やアーリフをバアス党排除を決意させるに至った[2]。