1964年東京オリンピックの聖火リレー
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香港
1964年8月21日にギリシャのオリンピア・ヘラ神殿で採火式が行われた。その後、アテネ(ギリシャ)、イスタンブール(トルコ)、ベイルート(レバノン)、テヘラン(イラン)、ラホール(パキスタン)、ニューデリー(インド)、ラングーン(ビルマ)、バンコク(タイ)、クアラルンプール(マレーシア)、マニラ(フィリピン)、香港(当時はイギリス領)、台北(中華民国台湾)、沖縄(当時はアメリカ合衆国の統治下)と、第二次世界大戦で日本軍が、それらの地域を植民地として支配していたヨーロッパ諸国やアメリカの軍隊と戦った地域を通り、平和のための聖火リレーを印象づけた。
アテネから沖縄までの各地は日本航空のダグラスDC-6B[1]、コンベア880M[2] によって運搬された。
9月4日、スケジュール通り聖火は香港の啓徳空港に到着したが、その深夜に香港を直撃した台風17号(英語版)により、空港に停泊していた特別機は補助翼の一部が破損して飛行不能となった[3]。香港ではこの台風により38人が死亡。聖火皿はその後オークションにかけられ、売り上げが犠牲者の支援にあてられたという。
羽田から補修部品を積んでやってきた代替機に聖火を載せ、6日朝、台北へ向けて出発しようとしたところ、この代替機もエンジントラブルを起こし離陸が中止された。さらなる遅延を避けるため、日本航空は定期便で香港にいた同型の飛行機を緊急欠航させ、聖火の輸送に用いることにした。この措置により同日の離陸が可能となり、飛行機は予定より1日の遅れで台北に到達することができた[4]。
日本国内のルート
沖縄

1964年9月7日に聖火は日本国内最初の地として沖縄に到着し、第一ランナーの宮城勇や戦災遺児ランナーの金城安秀らを多くの日の丸の小旗が応援した。アメリカ合衆国の統治下の沖縄では、日の丸は祝祭日以外は掲げられなかったが、聖火歓迎は日の丸の小旗で埋まった[5]。
4つのコース
沖縄からは日本国産旅客機であるYS-11の全日本空輸機「聖火号」で聖火が輸送され[6][注釈 1]、鹿児島市、宮崎市を経由して、千歳市へ向かった[2]。この3カ所から4つのコースで46都道府県を巡る聖火リレーが行われ、日本オリンピック委員会の記録では、4コースの地上リレー総距離6,755km(リレー総区間4,374区間)、参加リレー走者は10万713名となっている[7]。
9月25日の神戸大阪間(兵庫県庁-大阪府庁、29区間約40km)のルートは台風20号の接近により走者リレーが中止され、聖火は乗用車で輸送された。10月1日に西宮市教育委員会の配慮で走者を陸上競技場に集め模擬聖火リレーが開催されている[8]。2020年の聖火リレーでは、リレーを再現する56年目のファーストランが企画された[9]。

