1965年人種関係法
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| 英: Race Relations Act 1965 | |
| 議会制定法 | |
| 正式名称 | An Act to prohibit discrimination on racial grounds in places of public resort; to prevent the enforcement or imposition on racial grounds of restrictions on the transfer of tenancies; to penalise incitement to racial hatred; and to amend section 5 of the Public Order Act 1936. |
|---|---|
| 法律番号 | 1965 c. 73 |
| 日付 | |
| 裁可 | 1965年11月8日 |
| 発効 | 1965年12月8日 |
| 廃止 | 1976年11月22日 |
| 他の法律 | |
| 改正 | 1968年人種関係法 |
| 後継 | 1976年人種関係法 |
現況: 廃止 | |
| 法律制定文 | |
| Text of the 1965年人種関係法 as in force today (including any amendments) within the United Kingdom, from legislation.gov.uk | |
1965年人種関係法(1965ねんじんしゅかんけいほう、Race Relations Act 1965)は1965年に制定された人種差別を禁じるイギリスの法律。イギリス史において人種差別を対象とした最初の法律であり、公共の場での「肌の色、人種、民族または国籍を理由とする差別」を禁じた[1]。
また、1966年に人種関係委員会(Race Relations Board)が設立されるきっかけとなった。この委員会は国務大臣が任命した委員長と2人の委員から構成される[2]。この委員会の目的は同法に基づく請願の精査であった[1]。
なお、独自議会(旧議会)があった北アイルランドには適用されなかった。また、商店や個人下宿屋も適用除外となっていた。
第二次世界大戦後、イギリス本国には主として植民地や旧植民地から多くの経済移民が流入していた。特にカリブ海地域からの移民はウィンドラッシュ世代として知られる。移民の数はこの法案が成立するまでに約100万人に達していた[3]。 ロンドン博物館は「多くの人々にとって人種的偏見は日常の一部であった」と解説している[4]。 それまで人種差別防止を目的とした法案は左派の国会議員フェナー・ブロックウェイが、1956年から1964年にかけて8回提出していたが成立には至っていなかった[5]。この間、ロンドンのノッティングヒル暴動(1958年)[4]、ブリストルのバス・ボイコット事件(1963年)などの事件が起きていた[6]。
法律の内容と例外事項
この法律はフランク・ソスキス内務大臣が主導し、超党派で立法された[7]。
同法は1965年11月8日に女王裁可を受け、12月8日に施行された[3]。肌の色、人種、民族または国籍を理由としてサービス提供の拒否、サービス提供の不当な遅延、過剰な料金請求を民事上の不法行為とした。また、人種的憎悪煽動罪という新たな犯罪を設けた。
この法律は公共の場所での差別のみを禁じ、商店や個人下宿屋は明確に除外されていた。人種関係委員会の権限は弱く、調停と差別行為の停止という保証に限定されていた[8]。すなわち「弱い法律」であり、イギリスにおける人種差別を完全に終わらせるには至らなかった[9]。また、独自議会(旧議会)があった北アイルランドには適用されなかった[10]。