1973年ナント空中衝突事故
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| 事故の概要 | |
|---|---|
| 日付 | 1973年3月5日 |
| 概要 | 管制官のミスによる空中衝突、及びパイロットエラー |
| 現場 |
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| 死者総数 | 68(イベリア航空機の全員) |
| 生存者総数 | 107(スパンタックス機の全員) |
| 第1機体 | |
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1972年にロンドン・ヒースロー空港で撮影された事故機 | |
| 機種 | マクドネル・ダグラス DC-9-32[1] |
| 運用者 |
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| 機体記号 | EC-BII |
| 出発地 |
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| 目的地 |
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| 乗客数 | 61 |
| 乗員数 | 7 |
| 死者数 | 68(全員) |
| 生存者数 | 0 |
| 第2機体 | |
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1969年にストックホルム・アーランダ空港で撮影された事故機 | |
| 機種 | コンベア 990A コロナード[2] |
| 運用者 |
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| 機体記号 | EC-BJC |
| 出発地 |
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| 目的地 |
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| 乗客数 | 99 |
| 乗員数 | 8 |
| 死者数 | 0 |
| 生存者数 | 107(全員) |
1973年ナント空中衝突事故(1973ねんナントくうちゅうしょうとつじこ)は、1973年3月5日に発生した航空事故である。パルマ・デ・マヨルカ空港発ロンドン・ヒースロー空港行きのイベリア航空504便(ダグラス DC-9-32)とマドリード・バラハス空港発ロンドン・ヒースロー空港行きのスパンタックス400便(コンベア 990 コロナード)がフランス西部のナント上空で空中衝突し、イベリア機が墜落した。スパンタックス機はコニャック=シャトーベルナール空軍基地への緊急着陸に成功した。イベリア機の乗員乗客68人全員が死亡し、スパンタックス機の乗員乗客107人全員が生還した[2]。
イベリア航空504便
機材のダグラス DC-9-32(EC-BII)は、1967年に初飛行を行い、10,852時間の飛行経験があった。エンジンはプラット・アンド・ホイットニー JT8D-7を2基を搭載していた[2]。
乗員7人乗客61人が搭乗しており、乗客の中にはジミ・ヘンドリックスのマネージャーをかつて勤めていたミシェル・ジェフリー[3]や、実業家遠山直道も含まれていた。衝突により68人全員が死亡した[2]。
スパンタックス400便
機材のコンベア990 コロナード(EC-BJC)は、1962年4月にアメリカン航空に納入され1967年2月からスパンタックスが使用していた[4]。
乗員8人乗客99人が搭乗していた。衝突による死者は出なかった。