1973年ナント空中衝突事故

From Wikipedia, the free encyclopedia

概要 管制官のミスによる空中衝突、及びパイロットエラー
現場 フランスの旗 フランスナントVOR付近の上空
死者総数 68(イベリア航空機の全員)
イベリア航空504便
スパンタックス400便
事故の概要
日付 1973年3月5日
概要 管制官のミスによる空中衝突、及びパイロットエラー
現場 フランスの旗 フランスナントVOR付近の上空
死者総数 68(イベリア航空機の全員)
生存者総数 107(スパンタックス機の全員)
第1機体

1972年にロンドン・ヒースロー空港で撮影された事故機
機種 マクドネル・ダグラス DC-9-32[1]
運用者 スペインの旗 イベリア航空
機体記号 EC-BII
出発地 スペインの旗 パルマ・デ・マヨルカ空港
目的地 イギリスの旗 ロンドン・ヒースロー空港
乗客数 61
乗員数 7
死者数 68(全員)
生存者数 0
第2機体

1969年にストックホルム・アーランダ空港で撮影された事故機
機種 コンベア 990A コロナード[2]
運用者 スペインの旗 スパンタックス
機体記号 EC-BJC
出発地 スペインの旗 マドリード・バラハス空港
目的地 イギリスの旗 ロンドン・ヒースロー空港
乗客数 99
乗員数 8
死者数 0
生存者数 107(全員)
テンプレートを表示

1973年ナント空中衝突事故(1973ねんナントくうちゅうしょうとつじこ)は、1973年3月5日に発生した航空事故である。パルマ・デ・マヨルカ空港ロンドン・ヒースロー空港行きのイベリア航空504便(ダグラス DC-9-32)とマドリード・バラハス空港発ロンドン・ヒースロー空港行きのスパンタックス400便(コンベア 990 コロナード)がフランス西部のナント上空で空中衝突し、イベリア機が墜落した。スパンタックス機はコニャック=シャトーベルナール空軍基地英語版への緊急着陸に成功した。イベリア機の乗員乗客68人全員が死亡し、スパンタックス機の乗員乗客107人全員が生還した[2]

イベリア航空504便

機材のダグラス DC-9-32(EC-BII)は、1967年に初飛行を行い、10,852時間の飛行経験があった。エンジンはプラット・アンド・ホイットニー JT8D-7を2基を搭載していた[2]

乗員7人乗客61人が搭乗しており、乗客の中にはジミ・ヘンドリックスのマネージャーをかつて勤めていたミシェル・ジェフリー英語版[3]や、実業家遠山直道も含まれていた。衝突により68人全員が死亡した[2]

スパンタックス400便

機材のコンベア990 コロナード(EC-BJC)は、1962年4月にアメリカン航空に納入され1967年2月からスパンタックスが使用していた[4]

乗員8人乗客99人が搭乗していた。衝突による死者は出なかった。

事故の経緯

事故調査

脚注

Related Articles

Wikiwand AI