Anders als die Andern
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監督
リヒャルト・オスワルド
脚本
- リヒャルト・オスワルド
- マグヌス・ヒルシュフェルト
製作
リヒャルト・オスワルド
出演者
- コンラート・ファイト
- フリッツ・シュルツ
- ラインホルト・シュンツェル
- アニタ・バーバー
- マグヌス・ヒルシュフェル
- カール・ギーゼ
| Anders als die Andern | |
|---|---|
|
『Anders als die andern』のドイツ語ポスター | |
| 監督 | リヒャルト・オスワルド |
| 脚本 |
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| 製作 | リヒャルト・オスワルド |
| 出演者 |
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| 撮影 | マックス・ファスベンダー |
| 配給 | Richard Oswald-Film Berlin |
| 公開 |
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| 上映時間 | 50分(断片) |
| 製作国 | ヴァイマル共和政 |
| 言語 | |
『Anders als die Andern』(英題:Different from the Others、意味:他の人々とは異なって)は、ヴァイマル共和政下のドイツで製作された、メロドラマ無声映画[1]。コンラート・ファイトとラインホルト・シュンツェルが出演し、1919年に初公開された[2]。監督はリヒャルト・オスワルドが務め、マグヌス・ヒルシュフェルトがオスワルドと共に脚本を共同執筆し[3]、ヒルシュフェルトもまた映画で脇役を務め、自身の性科学研究所を通じて製作資金の一部を拠出した。本作は、当時ドイツで施行されていた、同性愛を犯罪化する刑法175条への論争を意図して制作された[4]。映画におけるゲイ男性に共感的な表現の先駆けの一つであった[3]。
本作のような映画への反発から検閲法が制定され、1920年10月までには本作を鑑賞できるのは医師と医学研究者のみとなった。映画のコピーは、1933年以後のナチス政権下で焼却された数多くの「退廃的」作品の中に含まれていた。
撮影はマックス・ファスベンダーが務めており、ファスベンダーはその2年前にオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を映画化した初期作品の一つである『Das Bildnis des Dorian Gray』を手がけていた。監督のリヒャルト・オズワルドは後に主流映画の監督となり、息子のゲルト・オズワルドも同様だった。ファイトは本作公開の翌年、『カリガリ博士』で大スターとなった。