E77気球爆弾
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経緯
E77気球爆弾の開発は1950年に開始された。E77の設計は第二次世界大戦中の日本の風船爆弾を基とし、陸軍化学軍団の技術委員会により承認を受けた。開発当時、E77の効力は、アメリカが保有する全ての生物戦用弾薬の6分の1に相当した[2]。E77は「戦略兵器」とされて配備が進められたが、以後の弾薬の開発はE77から重量750ポンド(約340kg)のE86クラスター爆弾へ移行したため、気球爆弾が戦争に用いられる事は全くなかった[1]。
仕様
E77に関連した試験
E77気球爆弾は、少なくとも3度、別個のセットによる試験が実行された。1954年10月から12月、41個のE77がカリフォルニア州バーナリスにおいて放出された。これは、この弾薬が目標の穀物類に対し、高レベルの感染植物を作り出すという「軍の仕様」に適合しているかを試験したものだった。追加試験が1958年に行なわれ、結果が示された。そこでは、穀物に感染するさび病胞子が、油脂をベースとする媒介物によって湿らされ、運ばれたときには、全く理想的でない環境下であっても胞子がより長い期間生き残っていた。以降、陸軍の研究機関フォート・デトリックとミネソタ大学ツインシティー校が研究を行ない、さび病胞子のキャリアーとしての油の効果について、いくつか明確な結論に達した[2]。