G・E・L・オーエン
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1922年、ウェールズ人の父とイングランド人の母のもと、イングランドのポーツマスに生まれる[2]。同地のグラマースクールを卒業後、1940年、オックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジに入学し古典学を学ぶ[2]。在学中に第二次大戦のため兵役に就き、タイ王国・英領ビルマ・英領インドに情報部員として派兵される[3]。1946年に復学し、1948年にB.A.を得ると、ギルバート・ライルの招きでオックスフォードのBPhilに進学し、1950年に修了する[4]。同年から1953年まで、ダラム大学のリサーチフェローとなる[3]。
1953年、出世作となる論文「プラトン対話篇における『ティマイオス』の位置」を発表する[1]。その内容は、文献学的な裏付けを交えつつ、『ティマイオス』を後期ではなく中期対話篇とみなすと同時に、後期対話篇ではイデア論を採っていないと主張するものであり、学界にインパクトを与えた[1]。
同年、オックスフォードの古代哲学講師となり、1957年に上級講師、1963年に哲学史教授となる[1]。その間、アリストテレス哲学のリバイバルを掲げてW・D・ロスらと読書会を開くなどする[5]。
1966年、ハーバード大学教授となり渡米する[6]。1973年、帰英しW・K・C・ガスリーの後任としてケンブリッジ大学古典学部のローレンス記念古代哲学教授となる[1]。ケンブリッジではキングス・カレッジのフェローを兼任した[3]。
1982年、心筋梗塞により逝去、享年60。晩年は燃え尽き症候群的なうつ病・アルコール依存症の兆候があったという[3]。
ローレンス記念古代哲学教授はマイルズ・バーニェトに引き継がれた。