KDA-4 (航空機)
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1929年(昭和4年)初頭、八八式偵察機(KDA-2)やKDA-3試作戦闘機を高性能機として完成させたリヒャルト・フォークト博士の設計手腕を評価した川崎は、フォークト博士に対して彼自身がエンジンや武装、コンセプトまで定める形での新戦闘機の設計を依頼し、軍の要求に依らない川崎による自主開発を開始した。これを受けてフォークト博士は単フロートを備えた[2]複葉水上戦闘機KDA-4を設計し[3][4]、1929年5月には日本海軍の協力を得て霞ヶ浦にて風洞試験を行っている。なお、作業には土井武夫技師も参加した[3]。
しかし、装備を予定したシーメンス・ハルスケ「Sh.20」空冷星型9気筒エンジン(最大480 hp)の[3][4]調達が困難であることが難点となり[3]、具体的な設計には進まないまま[4]基礎設計段階で計画は中止された[3]。その後、フォークト博士主導による川崎の戦闘機自主開発は、1929年中に開発が始まったKDA-5(後の九二式戦闘機)へと引き継がれている[5][6]。