MANA meets Blue Bajou
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旧メンバー
サポートメンバー
概要
特徴
エピソード
2006年9月にダンスボーカルユニットPLIMEを脱退した若林愛が、PLIME在籍当時にプロデューサーであった元Virgin Berryの浅野ケンをはじめ、交流のあったミュージシャンを誘い活動を再開したことが結成の経緯。
既にプロミュージシャンとしても活動していたメンバーのスケジュール調整が困難であったことから、結成から暫くの期間のライブは複数のミュージシャンがエキストラ出演していた。
バンド名に含まれるBlue Bajouとは紫色のバラの品種名である。何故Blue BajouなのかについてはPLIME時代に若林愛のイメージカラーが紫色であったことから、PLIMEのジャケット写真などを担当していたカメラマンの岡克己が、そのバラの写真を若林に贈って以来彼女のシンボルフラワーになったことが挙げられる。また、バンド名でありながらMANAを冠にしている点について当時のメンバー浅野ケンはラジオなどで「おじさんメンバーがでしゃばるのも格好悪いからMANAを前面に出しました」と自らを卑下して語っていた。別の番組では「ボン・ジョヴィが好きだったので本当は同じようにボーカルの個人名を取ってMANAというバンド名にしたかった」とも語っている。[7]ファンを中心に「ブルバ」という略称で呼ばれているが、メンバー自身のブログでは「MMBB」と略される場合もある。
PLIME在籍当時からクリエイティブな才能を発揮していた若林愛だが、MANA meets Blue Bajouでも作詞作曲に留まらず衣装デザインやオリジナルグッズデザインも行い、MANA meets Blue Bajou結成2周年記念TシャツがMySpaceの通信販売で月間売れ筋ランキング2位となるなどの実績も残している。また、1stアルバム『prologue』のジャケットでは惜し気もなくセミヌードを披露しているが、これも若林愛本人の発案、アートディレクションによるもの。尚、そのジャケット写真を担当したのも前出の岡克己である。
1stアルバム『prologue』には音楽ライターの長澤智典がライナーノーツとキャッチコピーを寄稿している。
また、同ライナーノーツにはメジャーデビューを控えている旨が記載されていたが、当時のギタリスト浅野ケンがユニオンミュージックジャパンの役員に就任した事が関係し、2ヶ月後に発売されたシングル『True Victory』は同社よりインディーズでのリリースとなった。
シングル『True Victory』のカップリング曲「HIKARI」には、ある漫画家を目指していた女性が同曲を聴いて自分への応援歌だと思って諦めかけていた漫画家への夢に向けてもう一度一歩踏み出したというエピソードがある。[8]