MS406 (航空機)
From Wikipedia, the free encyclopedia
概要
1934年7月のフランス戦闘機の近代化計画で採用された。1935年8月8日に初飛行したM.S.405の改良型として、1938年に大量生産が開始された。低翼単葉、引き込み脚、密閉風防を採用しているが、胴体後部は羽布張りの構造である[1]。第二次世界大戦開戦時に約600機が軍に引き渡されており、P-36 ホークとともにドイツ空軍機と戦った。
エンジンの馬力不足による低速、機関砲他のシステムの信頼性不足により劣勢であったものの、1940年6月8日に、ロベール・ウィヤム大尉が操縦するM.S.406は、3機のBf 109を15秒で撃墜した。 フランスにおける戦闘で合計150機のM.S.406が撃墜されたのに対し、ドイツ空軍機191機を撃墜し、おそらく89名が死亡した。 上記とは別に約100機のM.S.406が地上で撃破され、他の50機は敵の手に落ちるのを防ぐため、パイロットによって破壊された。フランス降伏後は、自由フランス軍とヴィシーフランス軍の双方で主力機として使用され、互いに戦闘も行っている[1]。
フランス以外でもスイス・フィンランド・トルコなどで運用され、特にフィンランド空軍で使用された機体は、継続戦争時にソ連空軍から鹵獲した同じイスパノ・スイザ系のM-105P エンジン(出力1,100hp)に換装され、最大速度522km/h、実用上昇限度12,000mと性能が向上し、「メルケ・モラーヌ」(Mörkö Morane、メルケとはフィンランド語で「お化け」の意)また、LaGG-3と同じエンジンだったことから「ラグ・モラーヌ」と呼ばれ、ソ連相手に奮戦した。
スイスでは、D-3800の名称でEKW社でライセンス生産が行われた他、フランスで試作に終わった改良型のM.S.412もD-3801としてスイス・ドルニエ社→ドフルク社で生産され、これらは輸入機のBf 109Eとともに第二次世界大戦中のスイス空軍の主力戦闘機となった[2]。ドフルク社では発達型のD-3802の開発も進められたが、完成は戦後となった[3]。
- D-3801
- D-3801
- D-3802
