MVアグスタ 125S
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MVアグスタ 125S | |
| 製造者 | MVアグスタ |
|---|---|
| 製造期間 | 1975-1977 |
| 先代 | 125 GTL-S |
| 種別 | スポーツバイク |
| エンジン | 123.5 cc 単気筒 OHV 4ストローク |
| ボア / ストローク | 53 x 56 mm |
| 圧縮比 | 10.5:1 |
| 最大出力 | 14 bhp (10 kW) @ 8,500 rpm |
| 点火方式 | 電子式 |
| トランスミッション | 湿式多板クラッチ、5段変速、チェーン駆動 |
| フレーム形式 | ダブルクレードル |
| サスペンション |
前:テレスコピックフォーク 後:オイルダンパー付きスイングアーム |
| ブレーキ |
前:230 mm ディスクブレーキ 後:136 mm ドラムブレーキ |
| タイヤ |
前:2.75 x 18 後:2.75 x 18 |
| ホイールベース | 1,300 mm |
| 寸法 |
L: 1,940 mm W: 620 mm |
| 車重 |
110 kg (240 lb) (dry) |
| Footnotes / references [1][2][3] | |
MVアグスタ 125S(本国イタリアでは125 Sport、北米市場では125 Sport SE)はイタリアのメーカー、MVアグスタが1975年から1977年にかけて製造したスポーツバイク[2]。このモデルはMVアグスタがカシーナ・コスタ工場で最後に生産したモデルの一つである[4]。
125 ccはイタリアでは人気のあるクラスだったので、MVは1954年以降、1950年代後半の「125 Rapido Sport」や[5]、1970年代初頭の「GTLS]などの4ストロークエンジン125モデルを製造してきた[6][7]。
1971年にドメニコ・アグスタ伯爵が死去すると[8]、MVアグスタの財務状況は低価格で高品質の日本製オートバイとの競争や、引き続く労使問題によって急速に悪化した[9]。1975年に、MVアグスタのラインナップはすべて新モデルの3車種に絞られていた。この新モデルはミラノで記者会見でコラード・アグスタと、MVアグスタの幹部によって発表された[10]。新しい3車種とは、北米での輸入業者であるコマース・オーバーシーズ・コーポレーションのクリス・ガーヴィルとジム・コザーマンのリクエストで作られた750Sアメリカ[11]、イタリアのデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ(以前、スズキ・RE-5をデザインしていた)がデザインしたMVアグスタ 350イポテージ[9]、そして350Sのデザインを踏襲した125Sだった[2]。
一連のニューモデルはMVアグスタの新時代とグランプリレーサーをベースにした市販車発売という野心的な計画の始まりを提示したが[10]、MVアグスタは1977年にオートバイの製造から撤退した[12]。
詳細

前モデルのGTLSから開発された125Sは、ジウジアーロによる350Sの印象的な水平のラインとシャープな輪郭を踏襲していた。鋼管と鋼板を併用するMVの通常の構成から離れて[7]、銀色に塗装された全鋼管式のダブルクレードルフレームが使われた。350イポテージと同様にリアフェンダーが取り付けられた段付きのシートと、スリットが開いたサイドカバーが取り付けられた。チェリアーニ式フロントフォークとスカラブディスクブレーキによって車体前部に現代的な外観がもたらされた[13]。
この単気筒エンジンの歴史は、1950年代の「Centomila[8]」(「100,000」の意、MVアグスタがこのエンジンは10万kmの使用に耐えると宣伝したことに由来)にまで遡るが[14]、新しい、角ばったクランクケースが与えらえた。正方形のアルミ合金製のシリンダーは、やはり正方形のシリンダーヘッドと組み合わされた。プッシュロッド式のエンジンは、以前のモデルの53 x 56 mmのボアとストロークを継承した。圧縮比は10.5:1に高められ、ベンチュリ形24 mmのキャブレターを通して混合気が供給されて[2]、8,500 rmpで14 bhp (10 kW)を発揮した。電子式点火装置と5速変速機が搭載された[13]。
このモデルは、MVのグランプリレーサーの伝統的なカラーリングに倣って、銀色のフレームと黒い排気管とともに赤と銀色に塗装された。オプションとしてカウリングが用意された[2][13]。