Madeth gray'll
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メンバー
- De≠prive(後のMIRAGEのYAYOI在籍)、DE=LUGEなどでの活動を経てMadeth gray'llを結成。Viergeに在籍していた際にはギターを担当しており、本人も「バンドはギターから始めた」と言っている[3]。De≠priveではKeiと名乗りDE=LUGEでは雅に変更するがMadeth gray'll結成時に再びKeiに戻し、途中翡翠に改名。Madeth gray'llでは全曲においてボーカル・全ての曲の作詞と主旋律を担当した[* 1]。Matina元社長のKISAKIは、SHOXXのインタビューで「翡翠はマティーナ時代の俺の右腕だった」と語っている。DAS:VASSERの響兵とは、度々ツインボーカルでセッションを行っていた。影響を受けたボーカリストとしてB'zの稲葉浩志、中森明菜を挙げている[2][4]。彼の歌詞は初期黒夢の清春やDeshabillzのSHUNの影響が垣間見えるグロテスクで過激なものであるが、時に悲しげで切ない歌詞を書くことがある。故郷である神戸で起こった阪神・淡路大震災の経験によって歌詞の世界が広がり、ボーカリストを目指すようになったといい、「Lucifer」や「白昼夢の惨劇」などの曲は、それら翡翠の過去の体験に由来するとも言われている[2][3]。Madeth gray'll解散後はHIZAKIらとともにSchwardix marvallyを結成するも、2004年に解散。解散後は引退し、現在は就職。2007年には妃&関西貴族にボーカルでゲスト出演している。
- Madeth gray'll以前にはメシアの肖像[* 2]、Lucifer[* 3]などで活動していた。当初はギターを担当していたが、Madeth gray'llではベースに転向。結成初期からバンドに在籍したメンバーで、コアなサウンドはほとんど彼の作曲によるもの。転調、変拍子、不協和音を多用する彼の楽曲は、翡翠の描くグロテスクな世界観を支えた。高校三年生のとき、雪那の家で聞かされた「黒装束の調べ」の原曲デモテープを聴いた翡翠は衝撃を受け、「是非一緒にバンドをやりたい」と願い出て、既にギター二人が決まっていたため、無理矢理ベースに転向してもらったと語っている[1][2][3][4]。ベースのプレイ面ではKISAKIの影響を強く受けている[4]。他に影響を受けたアーティストとしてROUAGEのRIKAを挙げており、また、翡翠と同様、B'zがバンドを始めるきっかけだったと語っている[3][4]。解散後、2001年春にQyubereを結成し、ボーカルとギターを担当する[* 4]。エモ/スクリーモロックの関西代表格として、2004年ごろからは全国的な活動をスタート。その後、個人的な理由によりバンド活動が困難となり2006年に解散したが、2010年5月Qyubereの再結成を表明マイスペースを立ち上げた。今後はスローペースだが継続的に活動を続ける模様。現在、結婚し子供が一人いる。また自身のブログでレビューを発表している。
- Burst[* 5]、Distray[* 6]を経て、1999年にMadeth gray'llに「十字架の結末〜第二の悲劇〜」への参加をきっかけに加入。バンドを始めた頃はベースを弾いていたが、大阪ではベースの募集が少ないため、やむなくギターに転向した[3]。LUNA SEAのコピーをやっていたこともあり、好きなギタリストとしてはINORAN、hideを挙げている[4]。加入前から第三者としてMadeth gray'llの独自な音楽性に憧れを抱いていたため、アルバム「Lucifer」作成時に、いくつかの楽曲がポップな、いわゆる一般向けになったことに反発。アレンジのやり直しを要求した[4]。自身も「黒死蝶ノ花束」「「M」的被虐症候群」を作曲し、これまでのMadeth gray'llの音楽性を踏襲しつつ彼の個性を加えた楽曲を提供した[2]。
- XXX[* 7]で活動していた。サポートドラマーとして参加した後、1999年10月正式加入。影響を受けたドラマーとしてX JAPANのYOSHIKI、他にLUNA SEAの真矢を挙げている[4]。X JAPANのhideの熱狂的ファンであり、hideミュージアムで行われたMatina主催ライブでは、一度きりであったがhideのコスプレ衣装で登場し、唄も披露している。解散後はBrilliant Sugarというセッションバンドでライブ活動をしていたが、2002年にボーカルのマコトと共にドレミ團を結成。名前の漢字を「零華」に改め、現在は東京に拠点を移して活動中。何度かドレミ團のライブでMadeth gray'll時代の映像を放映した[要出典]。シャープで丹精な顔立ちに似合わぬ、本人曰く「上半身デブ」的な体格の良さと[2]、赤を基調とした奇抜な独自のファッションセンスで、ファンの度肝を抜くこともしばしあった。
- 藍梨 (あいり) 6月18日生まれ 大阪府出身 血液型:O型
- 前任ギターの右狂脱退後、サポートとして参加していたが、ミニアルバム「亡界ノ魔都」発売に伴うツアー時から正式加入。解散後はCrack Brainにて活動するが、後に同バンドに在籍していたHIZAKI、翡翠と共にSchwardix marvallyを結成する。Schwardix marvallyではコーラスやMCも担当していた。現在は引退、就職している。
- 右狂 (うきょう) 5月3日生まれ 福岡県出身
- 歪 (ひずみ) 石川県出身 その他:『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』がお気に入りだった。
- 加入前はVie e'terneleというバンドで作詞作曲とギターを担当していた[* 8]。翡翠、静流に続いて三人目の初代メンバー。Madeth gray'llでは「白昼夢の惨劇」を作曲した。1998年5月7日、X JAPANのHIDEの葬儀に向かうため、メンバーが運転していたところ滋賀県内の高速道路上で事故を起こし、同行していたDeshabillzのベーシスト美歪と共に死亡。2007年には生前に書き残し、Madeth gray'llでは発表されることの無かった楽曲「NECROPOLIS」(Vie e'ternele時代の代表曲)をKISAKIがアレンジ、Madeth gray'llやMIRAGEのメンバーと録音し、非売品CDとして発表した。また、KISAKIは2008年5月3日・4日に開催されるhide memorial summitへの出演について「Madeth gray'llの歪とDeshabillzの美歪さんの思いも背負ってステージに立たせてもらいます」とのコメントを残している。
来歴
以下の来歴はベストアルバム『Madeth gray'll~悲劇の終幕』のライナーに記載されたものを参考としている[5]。
- 1997年9月頃 Vo.翡翠 Gt.静流にて結成。ユニット形式にてオムニバスに参加し音源を発表。直後にGt.歪、続いてBa.雪那が加入。
- 1997年11月〜12月 デモテープ三部作をMatinaから発売しインディーズデビュー。
- 1997年12月25日 梅田GUILDにてシークレットで初ライブを行う。
- 1998年3月 東名阪ツアー「狂気に満ちた殺人劇」。各会場でデモテープを配布。
- 1998年4月4日 4th DEMO TAPE「狂死楽園」を発売。このテープ発売後にサポートメンバーであったDr.椿が正式加入。
- 1998年5月7日 「狂死楽園」発売に伴うTOUR「美少女の腐乱死体を求めて」を敢行中、ギターの歪がX JAPANのHIDEの葬儀に向う途中不慮の事故で死亡。以降のスケジュールが一旦キャンセルされる。
- 1998年6月20日 歪追悼ライブ「螺旋階段と記憶」を歪の故郷である石川県・ラピア鹿島アイリスホールで開催。イベントには歪の両親も参加した。
- 1998年8月8日・9日 寝屋川VINTAGE BARにて主催ライブ「白装束の狂宴・前夜」・「黒装束の狂宴・前夜」を開催。この主催ライブをもって活動休止に入る。
- 1998年8月10日 1st CD「十字架の結末…」を発売。
- 1999年1月 オムニバスに「Le Miserable」で参加。Gt.静流とDr.椿が脱退。
- 1999年6月30日 Gt.右狂を正式メンバーに迎え、2nd CD「十字架の結末〜第二の悲劇〜」を発売し正式に活動再開。完売していた「十字架の結末…」を再発。
- 1999年8月9日 Gt.泉が正式加入し、復活ワンマン「罪深き冥華と追憶の懺麗死儀式」を心斎橋ミューズホールにて開催。
- 1999年10月 サポートDr.麗華が正式加入。
- 1999年11月 TOUR「楽園の悲絶運命・前編」を敢行。
- 1999年12月 TOUR「楽園の悲絶運命・後編」を敢行。ツアー終了後、Gt.右狂が脱退。
- 2000年2月19日 目黒鹿鳴館にて「楽園の悲絶運命」FINALワンマンを開催。
- 2000年3月29日 1stフルアルバム「Lucifer」が発売。
- 2000年4月 東名阪ワンマン「Evil en Lucifer」を敢行。
- 2000年6月20日 歪追悼ワンマン「螺旋階段と記憶」を金沢VANVAN V4で開催。
- 2000年11月28日 渋谷ON AIR WESTでワンマン「殺意に満ちた狂人劇」を開催。11月のツアーからサポートGt.藍梨が正式加入したこと、そしてバンドの解散が発表される。
- 2000年11月29日 ミニアルバム「亡界ノ魔都〜Entith de marge〜」発売。
- 2001年1月29日 梅田ヒートビートでのワンマン「終幕ノ情景」を以て解散。
- 2001年1月31日 ベストアルバム「Madeth gray'll~悲劇の終幕」発売。
その他
- 久原雅樹名義の著書(詩や小説など)がCDや配布物の中で掲載されていることがしばしばあったが、実際は翡翠の作品であり久原雅樹というのはメンバーの名前から漢字を一文字ずつ取って作った架空の作家(そのためメンバー構成によって名前が違っていた)[要出典]。
- 「廃人狂イ人形」はブックレット中に詩が掲載されているものの、実際楽曲の中ではそれを歌っていない。