NFR-90
From Wikipedia, the free encyclopedia
1960年代より、NATO諸国海軍はフリゲートの共同開発を志向していた。当初、その動きは組織立ってはおらず、例えばイギリス海軍のリアンダー級後継艦とオランダ海軍のホラント級・フリースラント級後継艦は一時期共同開発が志向されたものの、後に決別し、イギリスは22型フリゲート、オランダはコルテノール級フリゲートを建造した。しかし22型とコルテノール級は主機は共通化されており、またコルテノール級をもとにドイツ海軍のブレーメン級フリゲート、ギリシャ海軍のエリ級フリゲートが建造されるなど、ある程度の共通化が実現していった。これらの流れを受けて、次世代フリゲートでは更に共用化を進めるべく、1979年12月には任務要求文書(Mission Need Document)が策定されて研究グループが発足、1981年より実行可能性調査が開始された。これによって着手されたのが本計画である[2]。
予備的な実行可能性調査は1981年2月から1982年10月にかけて、90社と150名のエンジニアが参画して行われた。経費はNATOの予算から拠出されていた。発足当初はアメリカ合衆国、イギリス、フランス、イタリア、西ドイツ、カナダ、オランダの7ヶ国であったが、1983年よりスペインも参加した。そして1985年より実行可能性調査が行われ、10月に終了した[1]。