PZL 26
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PZL.26は、前回大会の1932年度大会用に製造されたPZL.19から開発された。PZL.19と同様にJerzy DąbrowskiとFranciszek Misztalにより設計された本機は固定式降着装置と密閉型キャノピーを持つ全金属製の片持ち式低翼単葉機であった。主翼と尾翼はPZL.19のものに小改良を施したものを流用していた。胴体、主翼と降着装置はより流線型にされ、強化されていた。最も大きな変更点は強力な米国製265 hpのメナスコ バッカニア(Menasco Buccaneer)B-6 S3エンジンを搭載した点であったが、この選択は失敗であることが分かった。1934年に5機が製造され、1機の試作機は静止テスト用に使用された。これらの5機には登録記号:SP-PZLからPZPまでが与えられた。
運用の歴史
製造されたPZL.26の5機全てが1934年8月28日から9月16日まで開催された1934年度大会に参加したが、9,538 kmのヨーロッパ周回長距離ラリーはエンジンに厳しく、エンジン故障のために3機(操縦士:Szczepan Grzeszczyk、Andrzej Włodarkiewicz、Jan Balcer)が完走できなかった。2年前のPZL.19での結果とほぼ同じであったが、Piotr Dudziński(SP-PZL)が11位、Ignacy Giedgowd(SP-PZM)は17位であった。Giedgowd機のエンジンは最高速度競技の途中で壊れてしまったが、完走した2機のラリー競技での平均巡航速度が2位と4位の211と213 km/hであったことは特筆に価する。
1934年秋にPZL.26のSP-PZMがパリ航空ショーに展示された。高出力の反面、信頼性不足と非常に高い燃料消費率により競技会の後はポーランドのスポーツ航空界ではあまり使用されなくなっていた。1936年7月1日にSP-PZL、-PZM、-PZNと- PZPは登録から外された。SP-PZOは第二次世界大戦前の1939年までトルンでポメラニアの航空倶楽部で使用された。おそらく他の1機もこの倶楽部で使用されていた。
1939年にJerzy Dąbrowskiは、イスパノ・スイザ製1100 hpのエンジンを搭載しPZL.26の構造を大幅に発展させた高速戦闘機のPZL.55の予備設計を行ったが、これは第二次世界大戦のため実現しなかった。