TV3 (マレーシア)
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| TV3 | |
|---|---|
| 開局日 | 1984年6月1日 |
| 所有者 | Media Prima |
| 映像方式 | 1080i HDTV |
| スローガン | Sentiasa Bersamamu |
| 国 | |
| 放送エリア | マレーシア |
| 本社 | クアラルンプール・バンサー Balai Berita |
| ウェブサイト | XTRA |
TV3(ティービー・スリー、Sistem Televisyen Malaysia Berhad)は、マレーシアの民間無料放送テレビチャンネルである。運営法人はSistem Televisyen Malaysia Berhadで、現在はMedia Prima傘下のテレビネットワークを構成する主要チャンネルの1つである。[1][2] 1984年6月1日に放送を開始した、マレーシア初の民間テレビ局である。[3]
開局まで
1970年代後半には、マレーシア国内で商業テレビ創設を求める議論が存在した。[4] 1983年、TV3の前身となる民間テレビ事業に免許が与えられ、開局準備が進められた。放送史研究では、この事業はマレーシア初の民間テレビ局創設として位置づけられている。[3]
当初の計画では、編成は国内制作30パーセント、海外番組70パーセントを想定していた。[5] また、都市部の視聴者を呼び戻すことも狙いの1つとされていた。[6]
放送開始と初期編成
TV3は1984年6月1日、クランバレーを対象に放送を開始した。[3][7] 開局当初の放送時間は午後5時から深夜0時までの7時間で、米英ドラマを中心とする娯楽番組の比重が高かった。[7]
一方で、ニュースやドキュメンタリーが少ないことへの批判も生じた。[8] その後、TV3は祈りの呼びかけを導入し、1984年8月からはRTMのニュース中継も行うようになった。[9][10]
放送区域の拡大
1985年には、西マレーシア全域への拡張計画が政府に承認された。[11] 同年には、ペナン、イポー、マラッカ、ジョホール、クアンタンの5局計画が報じられた。[12] ジョホール向け送信は1985年11月に試験放送が始まった。[13]
その後も拡張は続き、1988年にはサラワク、1989年には中央クランタン、コタキナバル、中央パハン、1991年から1992年にかけてはスレンバン、ミリなどへの拡大が報じられた。[14][15][16]
所有構造の変化
1987年には、Fleet HoldingsからNew Straits Times Pressへの持分移転が進み、NSTPの支配力が拡大した。[17][18] 1988年にはクアラルンプール証券取引所に上場した。[19]
2003年には、Sistem Televisyen Malaysia Berhad と The New Straits Times Press (Malaysia) Berhad が MRCB から切り離され、Media Prima の形成に至った。[20][2]
拠点移転
TV3は開局当初、クアラルンプール・バンサーのJalan Likuを拠点としていた。[21] 1990年代には スランゴール州プタリン・ジャヤ・Bandar Utama のSri Pentasへ移転した。[21]
2024年10月、Media PrimaはTV3を含むテレビネットワークのニュース運用を、バンサーのBalai Beritaへ移した。[22] 同月には、看板ニュース番組『Buletin Utama』がBalai Beritaから初回放送を行った。[23]
24時間放送
TV3は1997年8月31日から24時間放送を開始した。これはマレーシアにおける24時間テレビ放送の先行例の1つとされた。[24][25] その後、1998年には一部曜日で放送時間が短縮されたが、のちに再び24時間体制へ戻った。[26]
編成と報道
TV3は開局当初、娯楽番組を主軸とする編成で出発したが、その後はニュース、時事番組、ドラマ、情報番組を含む総合編成へ展開した。[7][9]
Media Primaの2024年資料では、TV3の看板ニュース番組『Buletin Utama』は平均260万人に到達し、Malay 4+ 視聴者層で60.4パーセントのシェアを記録したとされている。[27] 2025年資料でも同番組はTV3の主力夕方ニュース番組と位置づけられている。[28]
また、TV3のニュース番組は学術研究の対象にもなっており、UiTMの研究では『Buletin Utama』がニュース商業化と報道実務の観点から分析されている。[29]