USLダンケルク

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原語表記 Union Sportive du Littoral de Dunkerque
愛称 Les Maritimes[1][2] (海辺)
クラブカラー    
   
創設年 1909年
USLダンケルク
原語表記 Union Sportive du Littoral de Dunkerque
愛称 Les Maritimes[1][2] (海辺)
クラブカラー    
   
創設年 1909年
所属リーグ フランスプロサッカーリーグ(LFP)
所属ディビジョン リーグ・ドゥ(2部)(2024-25
昨季リーグ順位 リーグ・ドゥ16位(2023-24
ホームタウン ダンケルク
ホームスタジアム
スタッド・マルセル=トリビュフランス語版
収容人数 4,933
代表者 トルコの旗 Jasper Yildirim
監督 スペインの旗 アルベルト・サンチェス[3]
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

USLダンケルクフランス語: Union Sportive du Littoral de Dunkerque)は、フランスオー=ド=フランス地域圏ダンケルクを本拠地とするサッカークラブ。2024-25シーズンはリーグ・ドゥに所属する。

スコットランドに旅行に行ったマルセル・トリビュ(Marcel Tribut)はそこでサッカーに初めて出会い、帰国後の1909年5月1日にダンケルク初のサッカークラブとしてスタッド・ダンケルクワース(Stade Dunkerquois)という名前で設立された[4]

1919年にUSマロ・レ=バン(US Malo-les-Bains)というサン・マロのクラブと合併し、USダンケルク=マロ(Union Sportive Dunkerque-Malo)が誕生した。USDMはフランス杯で名を馳せ、1923年と1927年にはベスト16に、1922年と1924年にはベスト32に進出した[4]

URダンケルク=マロのメンバーの集合写真(1929年)

1929年にユニオン・レーシング・ダンケルク=マロ(Union Racing Dunkerque-Malo)に改名しフランス杯で準決勝に進出、1930年にも準々決勝に進出した。1935年に2部に昇格し、クラブ史上初のプロチーム(Olympique de Dunkerque)となった[4]

2部リーグで4シーズンを過ごした後、ダンケルクは再びフランス杯で活躍し1937年には準々決勝に進出した。しかし、第二次世界大戦中にクラブはスタジアム、経営陣、選手やスタッフなどすべてを失った。戦後は文字通りゼロからの再出発を余儀なくされ、1950年までクラブは低迷を続けた。低迷期はエミリアン・メレッセフランス語版が監督に就任したことで終わりを告げた[4]

1954年、ダンケルク・エチュディアン・クラブ(Dunkerque Étudiant Club)と合併し、USダンケルク(Union Sportive de Dunkerque)になると1960年にはCFA昇格を果たした。1966年になるとUSダンケルクはディビジョン2に参入し、1996年まで30年間在籍した。その間にUSダンケルクはフランス杯の準々決勝に2度進出(1968年と1971年)し、1979年にはリーグ戦で3位と健闘した[4]

1987年、クラブは深刻な財政問題によりUSダンケルクは破産申請を余儀なくされたがダンケルクの都市コミュニティがクラブを支援し、ダンケルクのクラブは現在のUSLダンケルク(Union Sportive du Littoral de Dunkerque)という名前で存続した[4]

1990年には契約が満了したジャン=マルク・ボスマンにオファーを出した事が切っ掛けで、ボスマン判決に至る欧州サッカーの大変革を結果的に引き起こした。

しかし1996年にフランス全国選手権に降格すると、翌年にもリーグ再編成の影響でCFAに降格。2002年にさらに降格するも、翌シーズンはプレーオフの末にCFA復帰を果たした[4]

2012年にファビアン・メルカダルが監督になると、就任1年目からCFA・グループAで首位となりクラブ史上初めてフランス国内のリーグ戦でタイトルを獲得。16シーズンぶりにナシオナルの舞台に復帰した[4]

2019-20シーズンに新型コロナウイルス感染症の流行によってシーズンが打ち切り、この時2位につけていたため、フランスサッカー連盟の承認を経てリーグ・ドゥに復帰した[5]

2部リーグに復帰して1シーズン目は辛うじて残留に成功するも、翌シーズンは19位となり降格を強いられた。2022-23シーズンはシーズン途中からマチュー・シャベールが指揮官に就任。シーズン最終戦、ル・マンFCでの試合終了間際にラヤン・グリーブがゴールネットを揺らす劇的な形でリーグ昇格を決めた[4]

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

なし

過去の成績

シーズン リーグ戦 カップ戦 リーグ杯
ディビジョン順位
1987-88 ディビジョン2・グループB 341112113434348位ベスト32
1988-89 ディビジョン2・グループA 341111122840448位ベスト32
1989-90 ディビジョン2・グループB 349151028363311位
1990-91 ディビジョン2・グループA 346141417362617位ベスト64
1991-92 329131032343110位ベスト32
1992-93 ディビジョン2・グループB 34121663931406位ベスト64
1993-94 ディビジョン2 421316134451428位
1994-95 421418104238608位ベスト64ベスト16
1995-96 429161730434320位ベスト64ベスト32
1996-97 ナシオナル1 341015934304510位1回戦敗退
1997-98 CFA・グループA 349131242464014位
1998-99 341061838527015位
1999-00 3410121244487613位
2000-01 341211114548818位
2001-02 348111535476917位
2002-03 CFA2・グループA 30151145024863位
2003-04 CFA・グループA 3412111147438110位
2004-05 341111123938789位
2005-06 34171255537972位
2006-07 34121485042845位ベスト64
2007-08 34167115542894位
2008-09 34121394339837位ベスト32
2009-10 361071945537317位7回戦敗退
2010-11 CFA2・グループA 30151143818862位7回戦敗退
2011-12 CFA・グループA 34171255334973位8回戦敗退
2012-13 34209547221031位8回戦敗退
2013-14 ナシオナル 34121483530505位8回戦敗退
2014-15 341410103831526位ベスト64
2015-16 341211114242476位ベスト64
2016-17 34158115137536位5回戦敗退
2017-18 321111103939419位ベスト64
2018-19 3411101337394311位7回戦敗退
2019-20 2514564226472位8回戦敗退
2020-21 リーグ・ドゥ 3810111734474116位8回戦敗退大会廃止
2021-22 38872328533119位7回戦敗退
2022-23 ナシオナル 34195105032622位ベスト64
2023-24 リーグ・ドゥ 3812101636524616位ベスト32
2024-25 34

現所属メンバー

歴代監督

歴代所属選手

脚注

外部リンク

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