V&Rプランニング

From Wikipedia, the free encyclopedia

略称 V&Rプランニング
本社所在地 170-0004
東京都豊島区西巣鴨2-35-10
株式会社ブイアンドアールプランニング
V&R Planning Co.,ltd.
種類 株式会社
略称 V&Rプランニング
本社所在地 170-0004
東京都豊島区西巣鴨2-35-10
設立 1986年4月1日
業種 情報・通信業
法人番号 9013301030920 ウィキデータを編集
事業内容 ビデオソフト及びマルチメディアソフト(アダルト・一般作)の企画、制作、販売、衛星放送等への番組提供
代表者 三枝進代表取締役
売上高 7億円(年商)
従業員数 8名
関係する人物 三枝進(前代表取締役)
外部リンク https://www.vandr.co.jp/
テンプレートを表示

株式会社V&Rプランニング(ブイアンドアールプランニング)は、日本アダルトビデオメーカー

「鬼のドキュメンタリスト」の異名をとるAV監督となる安達かおるが1986年に設立。宇宙企画クリスタル映像など美少女系アダルトビデオ全盛時代に、レイプスカトロなど、主流とは一線を画した作品をリリースし続け、アダルトビデオ業界のみならず、サブカルチャー分野においてもカリスマ的人気を博した。バクシーシ山下カンパニー松尾インジャン古河など数多くの異色AV監督を輩出したことでも知られる。V&Rのスカトロ作品では井口昇監督『ウンゲロミミズ エログロドキュメント』(1994年)が最も有名で排泄物食糞、塗糞、脱糞に始まり、嘔吐物ミミズまでを扱った過激な演出からマニアの間でカルト的な人気を集め、翌1995年には続編も制作された。キワモノ系の異色作・問題作を1990年代に多数リリースして異彩を放ち、鬼畜ブーム時には『危ない1号』に特集が組まれるなどマニアの間で密かに注目を集めていた。

日本の若者の実態を探るべく、NHKのドキュメンタリー番組で藤原新也が、『わくわく汚物ランド』撮影現場を取材。男優が排泄物を食す姿を眉間にしわを寄せてじっと見ていた藤原は、その最後おもむろに「...胎児に戻った」と言ったという。

設立して1年も経っていない頃には、事務所の前にしょっちゅう排泄物が不法投棄されていた。カンパニー松尾は、「SM嬢の初代葵マリーさんと組んだ作品を出したりしていたので、マニアから「オシ●コ飲めるからビデオに出せ!」「俺はウ●コ食えるぞ!」的な電話が毎日鳴って。そういう積極的なマニアを出演させるのがV&Rのお家芸でした。ホントにヘンな人がいっぱいいましたよ。飲尿おじさん、飲尿息子、ウ●コを食う〝わくわくおっちゃん〟...」と、週プレニュースで当時を振り返っている。

元々は日本ビデオ倫理協会所属だったが、V&Rは当時台頭していた規制の少ないインディーズメーカーを差し置くほど過激極まりない作風で知られ[1]、あまりの過激さゆえに発売禁止、審査拒否になることもしばしばあった。伊勢鱗太朗が監督として発表した『侵犯』は、本当のレイプなのではないかと噂がたった。社長の安達が『FLASH』や『週刊読売』の記者に「伊勢はやらせだと言ってるけど、本当はレイプしてるんですよ」と発言したことをメディアが報道したが、売上本数は1千本を超え、会社設立以来初めてのヒット作となった。なお、本来であれば健康に有害な食糞についても、ガチですか?と聞かれたカンパニー松尾は、疑似は「社長の安達かおるが許しません」と答え、バクシーシ山下も「(社長は)本物志向なので」と答えている。

『侵犯』はバクシーシ山下の『女犯』に繋がる[2][3][4]。AV史上最大の問題作とされる『女犯2』は、既存のレイプ作品では到底考えられないほど迫真に迫ったリアルな描写・演出から、1991年女性人権団体から抗議が殺到、社会問題化。同年10月、女性人権団体の『女犯2』を考える集いに、バクシーシ山下が招かれ参加。以後、ビデ倫の山下包囲網が強まる[5]。後に山下が語るところによれば、作品は意図的に後味の悪さを狙ったもので、事前に山下は本気で嫌がるよう女優に説明し、あえて男優にその事実を教えなかったという[6]

1992年には路上ドキュメント『ボディコン労働者階級』を監督し、山谷ドヤ街を舞台に日雇い労働者AV女優との交接を描いたことで、再度物議を醸す[6]。『ハンディキャップをぶっとばせ!~僕たちの初体験~』では、身体障害者の青年が糞便を食すなどのスカトロビデオに出演したことが問題視されお蔵入りとなり[7]、ビデ倫を自主退会。

平野勝之監督の『水戸拷悶2 狂気の選択』では過激な描写を追求するあまり2名が負傷、3名が引退宣言し、撮影の舞台となった渋谷はパニック状態に陥り警察が出動する騒ぎとなった(当然ビデ倫からは「論外の外」と審査拒否されたため、自主規制した不完全版のみが流通した[8])。また下水道を舞台に撮影を敢行した平野監督の『ザ・ガマン』でも警察官水道局員が大挙する騒動に発展している[8]

過激路線だった当時のAV女優は、ビニ本や裏本のモデル、風俗嬢がバイト感覚で出演していた。大きく違うのは現在の企画単体がいなかったこと。ギャラは企画が10万~30万、単体は何百万で1本1千万はさすがになかったという。なかには、事務所には何百万も入ったが、AV女優は月給制で手取り16万という悲惨な額もあった。

その頃、志願してAV女優になったは100%ないとしたカンパニー松尾は、昔は世間からひどい目で見られており、風俗嬢よりも格下で「AV出たら人生終わり」といった様子と答えた。バクシーシ山下も、「(出演するAV女優には)やらされてる感」があり、好きこのんで出てる人はいなかったと思うと同調。所謂、山師のような人が連れてくるなど、活動期間も短かく季節をまたぐのはひと握りであった。偏見とは関係なしに、金銭的な問題や家庭環境の問題等、すごく不幸な境遇の人が多かったように思えたという。

新たにV&Rプロダクツを2004年に発足、従来の過激暴力路線とは全く逆のベクトルを向いた、明るくポップなアダルトビデオメーカーとして制作を続けている。

来歴

前身企業として有限会社ブイアンドアールプランニングがあり、スーパーマーケット「ジャストイン」を運営していた。東京都目黒区学芸大学駅を最寄駅とする場所に、事務所とスーパーマーケットを構えていた。24時間営業で、社長の安達によれば、当時はまだコンビニが珍しく、コンビニのはしりだった。定款の目的の第1号に「スーパーマーケットの経営」と書いてあり、第2号や第3号にビデオ等の制作・販売に関することが書かれている[2]

1986年、社長の安達が知人の用事に付き添いでたまたまAV会社に行き、作品が足りないからとアルバイトとして安達がAVを作ることになった。当時はSMが人気ということで、安達が処女作を撮影[2]。同年5月に日本ビデオ倫理協会に加盟し、これは同年6月に「NOASH SELECT」レーベル第1弾として『SMドキュメント 調教24時間 ─地獄篇─』が発売された[5]

1987年4月、社名を冠した「V&R」レーベル第1弾『セクシードール』発売。1993年6月まで87タイトルをリリースして「VOUGE」へ変更する[5]

1987年7月頃、カンパニー松尾が入社。また、同時期に男優志望で芳賀栄太郎が男優を務めるも、アソコがイマイチだったが、口が上手く営業へ転身し、V&Rプランニングの営業部の基礎を作っていくことになる[2]

1987年7月に伊勢鱗太朗が『侵犯』発表。

1987年9月、5人目の社員が入社し、目黒区のワンルームマンションの1室から世田谷区等々力へ移転[5]

1988年3月、カンパニー松尾『あぶない放課後2』で監督デビュー[5]

1990年5月、バクシーシ山下が『女犯』で監督デビュー。

1991年3月、社屋を世田谷区等々力から駒沢[5]

1991年5月、有限会社から株式会社へ組織変更[5]

1992年、バクシーシ山下監督の『ボディコン労働者階級』発売。

1993年、安達かおるの『ハンディキャップをぶっとばせ!~僕たちの初体験~』お蔵入り。

1993年3月、ビデ倫を自主退会[5]

1994年2月、安達かおる『服従学園』発売。

1995年5月、カンパニー松尾が円満退社し、フリーとなる[5]

1996年頃、後にAV監督となる竹本シンゴテンプルすわインジャン古河が次々に入社[9]

1996年4月、社員監督・望月英吾が『パンスト狂い』でデビュー。パンストフェチぶりを発揮し、ヒットシリーズとなる[5]

1996年8月、バクシーシ山下が退社[5]

1998年6月、新鋭・竹本シンゴ『うわさのビキニギャルinオーストラリア』で監督デビュー。また、女性のための通信レンタル「Pandore」の運営を開始[5]

1999年、社員監督の望月英吾が退社し、フリー監督となる[10]

1999年頃、ビデ倫に復帰。ビデ倫と死体に関する取り決めをし、釣崎清隆の『死化粧師オロスコ』の撮影中に復帰したため、DVD化が困難となる[11]

安達社長が2ヶ月ほど編集室に閉じこもって働き詰める中、行方不明となる。

2000年5月、安達が監督に復帰し、『強制顔面FUCK アソコの匂いで立ててみな』発売。

海外展開を目指し、ブラジルにオフィスを構えV&R International Limitedを設立。水中でセックスをする『AQUA SEX3 Island of Lust』などがある。ポルノの祭典「ヴィーナス・ベルリン」に2002年から出展し、2003年のテーマは「AQUA SEX SHOW」とし、ブースに巨大な水槽を設け水中SEXを披露[9]

2004年、ビデ倫を脱退し、セルメーカー中心のメディア倫理協会にフィールドを移す。ソフト・オン・デマンドグループに入るが、同年9月を最後にリリースを停止。以降、関連会社であるケイ・ネットワークから過去のV&R作品の再編集作品がリリースされる程度だった。V&Rプランニングの制作陣はそのまま、新たにV&Rプロダクツを発足。

2006年5月、V&Rプランニングとしては久々に新作(『服従学園〜血桜組、修羅の戦い』、『中出しマ○コにカメラ入れちゃいましたパート2』)リリース。一部の作品はオリエンタル・ドリームレーベルで海外向け作品としても発売されている(V&Rプランニング制作ロゴも入っている)。その際はスカトロシーンなどアメリカの法律に抵触されるシーンはカットされている。

2015年、封印されていた障害者主演のスカトロビデオ『ハンディキャップをぶっとばせ!~僕たちの初体験~』がアップリンク渋谷で上映され、制作から22年目にしての解禁となった[12]

AV監督

関連項目

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI