V-11 (航空機)
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作戦投入
中国

1935年の終わりに中華民国が発注を出した。当初の発注数は複座のV-11Gが30機である。1939年、より強力なV-12派生型からV-12-CとV-12Dの2種類のバージョンの発注が続いて出されている。これらの機の大部分は中国とビルマの国境付近の雷允にある中央飛機製造廠の工場で部品を組み立てることが計画され[7]、最初のバッチであるV-12-Cの25機の生産に成功した一方、工場施設はV-12-Dの最初の組み立てを開始した直後に激しい爆撃を受けた。この結果、機体の部品生産はインドに疎開させ、機体の組み立てはベンガルールに置かれたヒンドスタン航空機の工場で行うことが計画された。しかし、数機が組み立てられたのち、工場はより切迫したオーバーホール作業に転換したために生産は停止した[8]。
V-11とV-12は軽爆撃機として使用され、いくつかの成功を収めた。これには1939年2月5日、中華民国空軍の第10飛行中隊、運城に配備された4機が日本軍の保持する飛行場を攻撃した事例が含まれる。この後の1940年、機体は爆撃任務から引き下げられ、訓練用途や連絡任務に使われた[9]。
ブラジル

1939年2月、ブラジル陸軍航空隊は長距離爆撃用として最初にヴァルティーV-11の10機を取得した。最終的には26機がブラジル陸軍航空隊によって使用されている。
V-11を用い、1939年11月8日にはブラジルの奥地を横切る3,250kmの無着陸飛行が11時間45分かけて行われた。
1942年8月26日、一隻のUボートがブラジル南海岸の都市アララングアから50マイル離れた位置で攻撃を受けた。対潜作戦には適さないものの、機は低空を飛び、3発の250ポンド爆弾を投下し、潜水艦の周囲で爆発した。しかし爆風は低空を飛ぶ機体に被害を及ぼした。
ソビエト連邦

1936年、ソビエト連邦では三座型のV-11-GBを4機購入している。また生産ライセンスも共に得ていた。1937年、本機はBSh-1(Bronirovanny Shturmovik)としてソ連での量産に入った。しかし対地攻撃任務向けに装着された装甲板が受け入れがたいほどに性能を悪化させ、31機生産ののちに量産は停止された。これらの機はエアロフロートに移送され、PS-43として再設計を受けた。1941年のドイツ軍侵攻までの用途は高速輸送であった。侵攻時にこれらの機材は連絡任務のためソ連空軍に復帰した[10]。
アメリカ合衆国

1930年代後半、アメリカ陸軍航空隊では双発の軽攻撃機を好んでいたものの、比較を目的として1938年の夏に7機のYA-19を発注していた。YA-19は.30口径機関銃を6挺積んで武装し、1,080ポンドの爆弾を爆弾倉に搭載した。動力は1,200馬力のツインワスプ星型エンジンで、操縦士、観測手兼銃手、爆撃手兼撮影手を含む3名の乗員により操作された。
YA-19の独特な装備には垂直スタビライザーがあり、垂直尾翼の前方に配置された。垂直スタビライザーのサイズが小型で、ヨーの不安定さを引き起こしたために最後のYA-19(S/N 38-555)は大型化した垂直スタビライザーを装備している。
任務試験では双発の攻撃機がより高速であり、より良い武装が施せ、爆弾搭載量も大きかったことが示され、それ以上にYA-19が発注されることはなかった。比較審査ののちに5機のYA-19がA-19に改称され、カリフォルニア州マーチフィールドの第17攻撃グループに短い期間割り当てられた。その後、パナマ運河地帯に移管され、連絡任務や通常の輸送に用いられた。A-19は実戦投入されることなく、1940年代初期に早々と退役した。
派生型
バルティーの各型名称
- V-11
- 最初の試作機。750馬力のライトSR-1820-F53サイクロンで2翅のハミルトン標準可変ピッチプロペラを駆動する。事故を起こした際に操縦士とプロジェクトエンジニアの両方が死亡した[2]。
- V-11-A
- 第二の試作機。最初のV-11と類似するが3翅の定速プロペラを装備する。


- V-11-G
- 当初の量産型である複座軽爆撃機。850馬力のライト R-1820-G2 サイクロンエンジンで駆動する。中国向けに30機を生産した[11]。
- V-11-GB
- V-11の三座バージョン。4機がソ連に購入された。(2機は見本)。またトルコや他国が40機を購入した[12]。
- V-11-GB2
- 26機がブラジルにより購入された。基本的にはV-11-GBと同様である[12]。
- V11-GB2F
- ブラジル向けの最後の機体。フロートを装着したものの受け入れられなかった[12]。
- V-11-GBT
- V-11-GBをトルコ向けに改称。
- V-12
- 三座の爆撃機バージョンの改修型で、空力特性をリファインし出力を向上した。1939年、プラット&ホイットニー R-1830 ツインワスプエンジンをつけた1機の試作機が飛行した。
- V-12-C
- 中国向けのV-12の量産バージョン。R1820-G105B サイクロンエンジンで駆動する。26機生産。1機はヴァルティーにて作られ、残り25機は中国で組み立てられた。
- V-12-D
- 新しい胴体を装備、1600馬力のライトR-2600サイクロン14エンジンで駆動する改修型。中国が52機を発注し、2機の見本がヴァルティーにより生産された。50機は中国本土で組み立てた。
- V-52
- YA-19をもとに観測機として改設計したが生産されず。
USAACの呼称

- YA-19
- アメリカ陸軍航空隊向けのV-11-GBの派生型。7機が生産された。
- YA-19A
- 最後のYA-19機を改称、エンジンのテストベッドとして完成された。方向安定性の改善目的で大型化した垂直スタビライザーを装備し、対向12気筒のライカミング O-1230で駆動する。
- YA-19B
- 第二のYA-19機をエンジンのテストベッドとし、プラット&ホイットニー R2800星形エンジンを搭載した後、改称したもの。
- YA-19C
- YA-19Aはプラット&ホイットニー ツインワスプR-1830-51エンジンを装着したのちに改称したもの。YA-19と同じような性能を持つ。
- A-19
- 残った5機のYA-19を実際の任務に割り当てたのちにA-19に改称。
ソ連での呼称
採用国


