「神聖な義務」論争
From Wikipedia, the free encyclopedia
発端は1980年9月18日号の『週刊新潮』に「一ヶ月の医療費一五〇〇万円の生活保護家庭、大西巨人家の神聖悲劇」という記事が掲載され、 内容は大西巨人の次男[注釈 1]の大西野人[注釈 2]の血友病の治療費が癲癇症状による個室のベッド代や血液凝固剤のコンコエイトを600本[注釈 3]使用したことによって[1]1500万円を超えたことにより、大西家は生活保護を受けざるを得なくなった[2]事実を報じたものである。
当時の大西巨人家には存命の息子が2人おり、次男の野人は先天性の血友病患者であった。母親も病気がちであり、父親の大西巨人は『神聖喜劇』を執筆し原稿代を得ていたものの、家賃7万円の借家で生活し、300円のガス代も払えない状況であった。しかし、野人の治療費の1500万円は大西が当時住んでいた埼玉県与野市の指定疾患医療給付制度で賄われていた。大西家にはほかに赤人、旅人[注釈 4]という息子が生まれていたが、旅人については生後1ヶ月で肺炎で夭折していた一方、赤人も先天性の血友病を患っていた[3]。
一方、渡部昇一は1980年当時、上智大学教授であり、他にも英語学者、批評家の肩書を持って活動を行っていた[4]。そして1980年1月から『週刊文春』にエッセイの「古語俗解」を隔週で連載していた[4]。古語俗解は最近の出来事を批評する形式が採用されており[4]、同年10月2日付の『週刊文春』の古語俗解「神聖な義務」において、アレキシス・カレルを引き合いに出し以下のような持論を述べた。
これらの持論は渡部が西ドイツでの留学時代に現地の医学生から「ドイツが経済復興を遂げたのは東ドイツからの流入者と、ヒトラーが障害者やジプシーを"処分"してくれたからだ」と話したことから切り出された。
- 「悪質な犯罪者や、犯罪を繰り返す異常者からは社会は断乎として守らなければならないものとする。また劣悪な遺伝子があると自覚した人は、犠牲と克己の精神によって自発的にその遺伝子を残さないようにすべきであると強くすすめる。(略)劣悪遺伝子を受けたと気づいた人が、それを天命として受け取り、克己と犠牲の行為を自ら進んでやることは聖者に近づく行為で、高い道徳的・人間的価値があるのである。」
- 「もちろん精神異常者、精神薄弱者、先天的身体障害者として既に生まれている人たちに対して、国家或いは社会が援助の手をさしのべるのは当然である。しかし、未然に防ぎえる立場にある人は、もっと社会に責任を感じて、良識と克己心を働かせるべきである。ということは強調して然るべきだろう。」
- 「血友病の子供を持つということは大変に不幸なことである。今のところ不治の病気だという。しかし遺伝性であることが分かったら、第二子はあきらめるというのが多くの人の取っている道である。大西氏は敢えて次の子供を持ったのである。(略)既に生まれた子供のために、一月千五百万円もの治療費を税金から使うというのはむしろ慶祝すべきことがらである。既に生まれた生命は神の意思であり、その生命の尊さは、常人と変わらないというのが私の生命観である。しかし、未然に避けられうるものは避けるようにするのは、理性のある人間としての社会に対する神聖な義務である。現在では治癒不可能な悪性の遺伝病を持つ子どもを作るような試みは慎んだ方が人間の尊厳にふさわしいものだと思う。」
- 「今や日本には、『自助クル人民』が多いために、生活保護費総額一兆二千億という巨額を支えていることができる。『自助クル人民』の数が相対的に減少すれば絶対必要な福祉水準さえも下らざるをえないことは明白なのである。」
大西巨人は当初渡部昇一の一連のエッセイを知らなかったものの、知人からの連絡を受けたことで渡部のエッセイを読んだことで事態を把握し[5]、同年11月1日付の『社会評論』内[6]の自身のエッセイ、「井蛙雑筆」において「破廉恥漢渡部昇一のその面皮を剝ぐ」と題して、渡部への批判を以下のように展開した[7][8]。
- 渡部氏はヒトラーを非人道的犯罪だ、人種的偏見だと非難しつつも、逃げ口実を充分に用意している。そして、その本心はヒトラー、ナチズムへの傾倒礼賛である。
- 「ヒトラーとは真逆の立場」と書いたアレクシス・カレルの「人間―この未知なるもの」をまともに読めば、彼の基本的思想がヒトラーの立場に酷似していることが分かるはずである。
- 渡部の学問的無知、及び倫理的陋劣が具体的に倍加され、週刊誌の無署名記事の不正確不十分な記事を改竄して悪用した。
- 「神聖な義務」内での自分に対する批判は既に生まれた次男の「生命」をなぜ未然に抹殺しなかったか、と人身攻撃しているものである。
『朝日新聞』は1980年10月15日付の東京版朝刊において「大西巨人氏vs渡部昇一氏」の見出しで渡部と大西の論争を取り上げ、国立遺伝学研究所の松永英人によるコメントを掲載した[5][9]。記事は『朝日新聞』記者であった原賀肇が書いた。渡部によると前日の10月14日に原賀からエッセイに関する電話が来て、その昼過ぎに原賀が来訪しエッセイに関して質問を行ったという[10]。
上智大学の学生新聞の『上智新聞』では大西巨人の反論エッセイと同日に「『神聖な義務』とは何か?/渡部昇一教授の発言に批難の声」の見出しで当該問題を取り上げるとともに、『上智新聞』が渡部に対して以下の質問状を送付し、その回答、および渡部のインタビューを掲載した[11]。その中で渡部は『朝日新聞』の記事に関して捏造、虚報だと主張し[11]、「神聖な義務」は『神聖喜劇』と掛けたまでのタイトルだと主張した[11]。
また、「渡部昇一教授の十月二日付週刊文春におけるエッセイ及び十月十五日朝日新聞朝刊の発言について」として渡部に送付された質問状に対して、渡部は見出しについては「適当ではない、朝日新聞は読者に対して私をヒトラー礼賛者に仕立てようとする印象操作だ」と反論している[12]。
1983年(昭和58年)、渡部は「古語俗解」をまとめて単行本として刊行し、巻末にあとがきとして「ちょっとした筆禍事件」として本論争を取り上げた[13]。この際、「この新聞報道で驚いたことは、私の意見に賛成の人も反対の人も、同も見当違いが多かったことである」と記した[13]。これに対し大西は8月5日付の『朝日ジャーナル』において「恥を恥と思わぬ恥の上塗り」として渡部を批判した[13]。
その後、渡部は上智大学からの一切の処分を受けず、2017年(平成29年)に没するまでに何かしらの処分を受けることはなかった[14]。
反響・批判
10月21日付、および22日付の『朝日新聞』では渡部に対して「『敢えて生む』には反対できぬ」や「子の苦しみに言及なく疑問」と言った賛意を示す投書[15][16]から、批判する投書[17]を掲載した[18]。
11月6日付の『女性セブン』では「あなたはどう考える!渡部昇一氏vs大西巨人"遺伝子論争"の焦点」として本論争を取り上げ、大倉輿人の「素人が遺伝学の知識なしで書いたものです。遺伝学を知らない人がいろいろいってはいけません」のコメントで締めた[19]。
野坂昭如は『週刊朝日』1980年11月7日号に掲載された「渡部昇一の知性と想像なき勇気」内で渡部を「子供を産むなと強制することは、無類の薄情ではないか」と批判した[14]。
特に全国青い芝の会の神奈川県連合会、および上智大学の学生で組織された渡部昇一教授発言を契機に障害者問題を考える学生連絡会議は渡部に対し長期間にわたって抗議を行った[14]。
青い芝の役員会では渡部、ヨゼフ・ピタウ学長(当時)に対して抗議文を送付すること、話し合いの要求を決定し、10月22日付で渡部昇一に対して抗議文を送付した[20]。11月21日には上智大学のメインストリートで「渡部昇一教授は障害者殺しに手を貸すのか」と青い芝の神奈川県連合会の8名がビラ配りと街宣を行い学生らに訴えた[20]。
一方、事実上の当事者となった大西一家を除く血友病当事者からの反論はほぼなかった。これに関し北村健太郎は自発的な親の選択で産むこと産まないことが認められていたこと、渡部はエッセイ内で生きている障害者の存在については否定しなかったこと、障害者や病人が社会的な負担になると見なされたことの3つの論点を挙げ、「血友病であることを積極的に肯定し難い血友病者は少なくなかった」ことが反論を集約できなかった一因であると述べている[21]。