お六櫛
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お六櫛の始まりについては、次のような伝説がある[1]。
持病の頭痛に悩んでいた村娘お六が、治癒を祈って御嶽山に願いをかけたところ、ミネバリで櫛を作り、髪をとかしなさいというお告げを受けた。お告げのとおりに櫛を作り髪を梳いたところ、これが治った。ミネバリの櫛の名は広まり、享保の頃になると、中山道藪原宿の名物として作られるようになった。
太田蜀山人『壬戌紀行』(1802年(享和2年))や山東京伝『於六櫛木曽仇討』(1807年(文化4年))にその名が見られるなど、江戸時代から知名度は高かった[1]。弘化年間には、藪原宿の78%の家が櫛に関する仕事に就いていた[1]。