道頓堀角座などがにぎわった1960年代頃のお茶子は、演者の世話、戸締まりまで、舞台関連の仕事全般を任せられていた。また、このようなかつてのお茶子は、若手落語家の親代わり、マネージャーのような役割を果たしていたようである。しかし、昭和末から平成にかけ上方落語の人気が低迷し劇場が相次いで閉鎖されるにつれ、昔ながらのお茶子は姿を消した[2]。
2019年12月現在、お茶子は、座布団返しや舞台に置く見台の出し入れなどを主な仕事とする[1]。例えば繁昌亭のお茶子は、アルバイト契約で月に数回勤務するが、仕事で着る着物や交通費は自腹であり、落語好きで寄席に興味のある女性が半ばボランティアとして働く[2]。
なお、2014年8月時点で彦八まつりにおいて、お茶子クイーンコンテストが実施されている[3]。