シューベルトがこの幻想曲を作曲したのは、『未完成交響曲』の第3楽章のスケッチを中断した直後の1822年後半と考えられており、上記のように第2楽章の変奏曲主題が自作の歌曲『さすらい人』から引用されている(また、4楽章とも『さすらい人』に基づく主題を用いている)ことが愛称の由来である。
シューベルトのピアノ作品としては高度の演奏技術を要する作品で、シューベルト自身がうまく弾けず、苛立ちのあまり「こんな曲は悪魔にでも弾かせてしまえ」と言ったという逸話もある。最も多用されている技法はアルペッジョ(分散和音)で、シューベルトの他のピアノ作品でこれほど多様なアルペッジョを駆使した作品はほとんどない(シューベルトがこの作品の出版に当たって援助を受け、曲を献呈したエマヌエル・カール・エードラー・フォン・リーベンベルク(Emanuel Karl, Edler von Liebenberg)はヨハン・ネポムク・フンメルの弟子だった)。
のちにフランツ・リストが編曲したピアノ協奏曲(管弦楽伴奏、S. 366)版もよく知られ、またリストは2台ピアノ版(S. 653)や弾きやすくした校訂版(S. 656a)も発表している。