すぐやる課

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すぐやる課(すぐやるか)は、1969年昭和44年)10月6日千葉県松戸市が設置した、市民の身近な困りごとに即応するための部署である。当時の松戸市長・松本清ドラッグストアマツモトキヨシ」創業者)が発案し、市長直属の組織として発足した[1][2]。「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」をモットーとする[3]

縦割り行政の打破と市民サービスの向上を目的とした日本初の即応部門として全国的に報道され、1975年(昭和50年)までに全国315の自治体で同様の部署が設けられた[4][2]。すぐやる課が設置された10月6日は「役所改革の日」とも呼ばれている[5]

設立の背景

人口急増とインフラ不足

高度経済成長期の松戸市は東京ベッドタウンとして急速に発展し、毎年約2万人のペースで人口が増加していた。1962年(昭和37年)に約11万人だった人口は、1969年(昭和44年)には23万人を突破した[2]

人口急増に対し、道路や上下水道などのインフラ整備が追いつかない状況にあった。U字溝の破損補修、側溝の詰まり解消、道路上の動物の死体処理など、市民の身近な問題が山積していたが、従来の行政機構では係・課・部・助役と何重もの決裁が必要で、緊急事態にもすぐに対応できず、いわゆる「お役所仕事」のイメージが定着していた[1]

松本清市長の就任

1969年1月26日に第9代松戸市長に当選した松本清は、少年時代に薬屋へ丁稚奉公し、星製薬商業学校(のちの星薬科大学の前身の一つ)を卒業後、1932年(昭和7年)に薬種商免許を取得して千葉県東葛飾郡小金町(現・松戸市小金)に「松本薬舗」を開業した[要出典]。創業初期は商品が乏しく、空き箱を並べて陳列棚を埋めるという工夫をし、客寄せのために店先でサルを飼ったこともあったとされる[6]1951年には「松本薬局なら他にもあるだろうが、薬局マツモトキヨシという店名は日本に一つしかない」という発想から屋号をカタカナに変更し、後の全国チェーン展開の礎を築いた[要出典]

千葉県議会議員を6期務め、県議会議長も歴任した松本は、市長就任直後に市長給料の全額返上を宣言して話題を呼んだ[6]。返上した給与は、長野県軽井沢町の松戸市林間学校施設や八丈島の市民保養所の建設費の一部に充てられたとされる[7]

松本はすぐやる課のほかにも「住民票などの出前係」「小鳥を呼ぶ係」「ながいき課」「しあわせ課」など、ユニークな名称の部署や係を次々と新設した[8]。また、松戸市内の市道舗装や小中学校への体育館・プールの整備にも取り組んだとされる[7]

さらに1969年12月27日の第32回衆議院議員総選挙では、投票率向上を狙って「投票でカラーテレビを当てましょう」のキャッチフレーズで投票整理券の番号を用いたくじを実施。景品にはカラーテレビ洗濯機掃除機自転車などが用意された(総額100万円超)。事前に自治省に問い合わせたところ控えるよう回答されたが、松本は「投票の公正を害するものではない」と判断し強行。投票率は前回比1.7ポイント上昇の62.43%を記録した[要出典]

命名

市議会からはひらがなの課名に猛反対の声が上がり、「特急課」「応急処理課」「特殊機動処理課」などの代案が提示された[9]。しかし松本市長は「小学生にも分かる課名」でなければならないと主張し、「すぐ出来る事はすぐやる」という趣旨をそのまま反映した「すぐやる課」の名称を押し通した[要出典]

発足

初代課長・臼井銀次郎

1969年10月6日、すぐやる課は課長1名・課員1名のわずか2名で発足した。初代課長に抜擢されたのは、管財課に所属していた臼井銀次郎(当時50歳)である。臼井は元軍人で、シベリア抑留の経験者でもあり、のちに陸上自衛隊に勤務した経歴を持つ[2]

松本市長が臼井を課長に選んだのは、臼井が「赤ん坊をおぶって出勤した」ことを恥じなかったこと、「雨の日でも傘を差したことがない」というエピソードを聞いたことがきっかけだった。松本は「この男だ」と直感し、自ら臼井の自宅を訪問して口説いたという[9]。課員には元警視庁防犯刑事の今井進が就いた[2]

課の壁には松本市長の揮毫による「すぐやらなければならないものですぐやり得るものはすぐにやります」の書が掲げられた[要出典]

初仕事と急増する要望

初仕事は、「子供が熱を出したが、剣道の大会に出場中の夫と連絡が取れない」という家族からの依頼であった。臼井課長自身が大会会場へ走って対応した[10][11]。一方、松戸市オンラインプレスルームでは「側溝の破損処理」が初仕事とする記述もある[9]

発足初日から16件の依頼が寄せられ、その後は1日40件の依頼が殺到する事態となった[2][9]。わずか4日後には5名体制に、1か月後には6名体制へと拡大した[2]

松本清の死とすぐやる課の存続

1973年(昭和48年)5月4日、松本清は肺炎のため松戸市立病院に入院。同年5月21日、2期目の市長在職中に心不全で逝去した。64歳没[8]。発案者を失ったすぐやる課であったが、その後も歴代市長のもとで存続し、半世紀以上にわたり松戸市の行政を支え続けている[4]

業務内容

業務の分類

すぐやる課の業務は、「危険回避処理」と「不快性を解消する処理」の2カテゴリーに大別され、さらに土木・清掃・動物・その他に細分化される[10]。主な業務は以下の通りである[3]

すぐやる課で対応困難な案件は担当部署に回付し、可及的速やかに処理する仕組みとなっている[要出典]。なお、庭の草刈りや家の掃除といった個人的な依頼は対象外であり、職員は「「何でもやる課」ではなく「市役所の仕事をすぐやる課」」と強調している[10]

業務の変遷

発足当初は道路補修や側溝掃除など土木・清掃関係が業務の約9割を占めていた[2]。しかし時代とともに動物関連の依頼が増加し、特に1993年度にスズメバチ駆除への対応を開始して以降、動物関係の件数が急伸した。1993年度に年間355件だったスズメバチ駆除は、令和6年度には2,366件に達し、全業務の約半数を占めるまでになった[10][12]。2008年度時点では土木関係が約19%にまで低下する一方、スズメバチ駆除が約57%を占めるようになり、業務構成が完全に逆転した[13]

近年はワイヤレスイヤホンやスマートフォンを側溝に落とした市民からの回収依頼も寄せられるようになっている[10]

スズメバチ駆除

すぐやる課の業務で最も件数が多いのがスズメバチの巣の駆除である。松戸市公式サイトの統計によれば、営巣場所は庭木(24%)、軒下(22%)、ベランダ(12%)、窓枠・戸袋(9%)、ガレージ(7%)の順に多く、被害は主に7月から10月に集中する[14]

夏場のピーク時には1日40 - 50件の蜂関連依頼が寄せられ、朝から晩までハチ駆除に追われる。この時期は道路補修などを委託業者や他課に依頼せざるを得ない状態となる[10]

職員は防護服を着用して作業にあたるが、脱いだ後は「雨に降られたかというぐらいびちょびちょ」になるほど過酷な環境である[10]。駆除は平日の午前9時30分〜12時と午後1時30分〜17時に対応し、費用は無料だが、所有者または居住者の立ち会いが必要となる[15]。なお、ミツバチは駆除対象外であり、「数日中に移動する場合が多い」として経過観察が案内される[15]

珍しい依頼

すぐやる課にはかつて「息子に嫁を紹介してほしい」「出稼ぎに行った父を探してほしい」といった依頼が寄せられたこともあった[11]。過去には「結婚相手を探してくれ」という依頼もあったという[10]。遠方からの依頼もあり、大阪府から「パソコンのアップデートを遠隔でやってください」という電話が入ったこともある[10]

運営体制

現在の組織

2024年時点で、すぐやる課は松戸市総合政策部に所属している。松戸市公式サイトによれば職員は6名(男性5名、女性1名)[3]、WORK MILLの取材(2024年)では現場対応6名に電話対応1名を加えた計7名体制と報じられている[10]

業務は2人1チーム・専用車2台で松戸市を南北に分担して行われる[10][3]。朝のミーティングで依頼を午前・午後・内容別に色分けして地図に落とし込み、原則として当日か翌日朝に現場を訪問する。移動中にも本庁から追加要望の連絡が入り、割り込み対応することもある[10]

すぐやる課の職務について、16代目課長の町山茂昭は「ホテルのコンシェルジュのような役割」と表現している[11]。19代目課長の根本慎一はかつて税金の滞納整理を約11年担当しており、「ほとんど感謝されることがなかった」と振り返る。すぐやる課に異動して初めて市民から直接感謝の言葉をもらえるようになり、それが仕事のやりがいになっているという[10]。市役所内では「花形」の部署と認識されており、配属を希望して異動してくる職員もいる[10]

また、すぐやる課の理念は松戸市役所全体に浸透しており、新人研修でも「すぐやる精神」が伝えられている[10]

組織上の変遷

発足時は市長直属の部局として設置され、機動性が確保されていた[要出典]。現在は総合政策部の所属となっている[3]

歴代課長

名前が判明している歴代課長は以下の通りである。

さらに見る 代, 氏名 ...
氏名 在任時期 備考
初代 臼井銀次郎 1969年〜 元軍人・陸自出身。松本清市長が自宅を訪問し口説いて就任[9]
2代目 荒木恒司 1974年〜 [16]
3代目 友野守 1978年時点 [17][18]
5代目 渡辺忠 1993年時点 [19][20]
6代目 豊田繁一 1994年時点 [21]
7代目 中里隆夫 1998年時点 [17]
16代目 町山茂昭 2016年度〜 1982年松戸市役所入所[11]
17代目 石原稔 2019年時点 市立六実中卒。収納課→道路管理課等を経て就任[2]
- 栗田友樹 2022年時点 [4]
19代目 根本慎一 2024年時点 16年前にもすぐやる課に配属、2度目の配属希望[10]
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実績

累計実績

発足以来の要望処理累計件数は182,780件に達する(令和6年度時点)[12]

年度別処理件数の推移

さらに見る 年度, 処理件数 ...
年度 処理件数 1日平均 出典
平成27年度(2015年度) 3,051件 - [2]
平成28年度(2016年度) 2,848件 - [2]
平成29年度(2017年度) 2,695件 - [2]
平成30年度(2018年度) 2,746件 - [2]
令和4年度(2022年度) 5,070件 20.9件 [10]
令和5年度(2023年度) 4,269件 17.6件 [10]
令和6年度(2024年度) 4,722件 - [12]
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業務内訳(令和6年度)

さらに見る 区分, 件数 ...
区分 件数 累計(発足以来)
土木関係(道路補修・側溝補修等) 1,728件 93,697件
清掃関係(道路清掃・放置物処理・動物死体処理) 301件 22,727件
動物関係(スズメバチ駆除等) 2,387件 51,258件
その他(他課通報処理含む) 306件 15,098件
合計 4,722件 182,780件
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(出典:松戸市公式サイト「すぐやる課への要望状況」[12]

市民の認知度

2019年10月に実施されたアンケートでは、「すぐやる課を知っている」と回答した市民は80%超、実際の利用経験者は21.3%であった[10]

全国への波及

国内での広がり

すぐやる課の設置は全国的に報道され、発足から1年で全国に43の類似部署が設けられた[2]。1975年(昭和50年)には全国315の自治体で同名部署や同様の役割を持つ部課が運営されるに至った[4][2]。視察の受入数は国内外合わせて250団体を超えた[4]

その後、縦割り行政の改善が進んだことにより多くの自治体では役割を終えて廃止されたが、松戸市では「元祖すぐやる課」として現在も存続している[4]

他自治体での設置例

さらに見る 自治体, 名称 ...
自治体 名称 備考
東京都葛飾区 すぐやる課 2010年に「すぐやる担当課」として発足。2013年度に「すぐやる課」に改称[22]。モットーは「速く行こう!よく聴こう!いい対応しよう!」。
総務部所属[23]
静岡県島田市 すぐやる課 現存、都市基盤部に所属[24]
沖縄県石垣市 施設管理・すぐやる課 2010年6月1日設置。担当職員が事前に葛飾区・世田谷区を視察して開設[25]。現存せず[26]
広島県安芸高田市 すぐやる課 建設部所属だったが、2022年の組織改編で建設課と統合し、廃止となった[27]
埼玉県寄居町 すぐやる課 「すぐ聞く・すぐ行く・すぐ対応」がモットー[28]。現存せず[29]
千葉県習志野市 広報すぐきく課 1991年に「すぐきく係」として設置、2012年から現名称[28]。現存せず[30]
埼玉県秩父市 市民生活課すぐやる担当[要出典]
現存と思われる[31]
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世田谷区の設置と廃止

東京都世田谷区2003年にすぐやる課を設置し、野良猫の死骸処理、放置自転車の撤去、ハチの巣駆除などを担当した。2010年度には3,794件の相談を受け、1,893件に出動する実績を挙げた[32]

しかし2012年3月末をもって廃止された。区は廃止理由を「職員全体に「すぐやる」という意識が定着してきた」と説明した[32]。廃止後は5つの総合支所の各「地域振興課計画相談担当」が相談窓口を引き継いだ[32]。東京都荒川区はすぐやる課を設置しなかった自治体の一つであり、「どの課もすぐにやれば、すぐやる課は必要ない」とコメントしている[32]

日本国外

フィリピン台湾などアジア各国からも視察団が訪れた。ソビエト連邦(現・ロシア)やフランスの書籍にも掲載され、オーストラリアでは「Today-go課」として紹介された[2]デンマークのグラズサックセ市では「StraXen」の名称で同様の組織が設けられた[要出典]

文化的影響

すぐやる課の設置は行政の枠を超えて社会的なブームを引き起こし、多方面でメディア化された[2]

音楽

  • 日本コロムビアからレコード『すぐやる課』(歌:仲清史)が発売された[要出典]
  • 1972年(昭和47年)には『すぐやる課音頭』のレコードが制作され、踊りの振り付けも作られた[2][9]

舞台

テレビドラマ

『すぐやる一家青春記』

1977年7月5日から10月18日までTBS系列で放送された連続テレビドラマ(全15回、毎週火曜日20:00〜20:55)。企画は木下惠介、制作はドリマックス・テレビジョン[要出典]

舞台は東京都下の架空の都市「新多摩市」。市役所すぐやる課の課長で男やもめの相馬雄作(小林桂樹)と3人の息子、居候の倉田武志(小倉一郎)の男5人暮らし。長男・一郎(秋野太作)が近くに引っ越してきた美人ヘルパー・宮田紀子(夏目雅子)を連れてきたことで、一家は紀子をめぐって大騒ぎになる。夏目雅子にとっては連続ドラマ初出演作品であった。他に坂上二郎草笛光子らが出演した[要出典]

『チバケンのマツモトさん。』

2021年5月1日に千葉テレビ放送開局50周年記念ドラマとして放送された。マツモトキヨシ創業者・松本清の生き様を描く作品で、松本清を長谷川朝晴、妻の寿子を大塚寧々、次男の南海雄を中村俊介、すぐやる課初代課長・臼井銀次郎を小手伸也が演じた。ダンディ坂野も出演している[33]

『突破市役所 なんでもスグやる課』

2021年から日本テレビ系列のクイズバラエティ番組『THE突破ファイル』内で不定期放送されている再現ドラマコーナー。野田クリスタルマヂカルラブリー)が課長役を演じ、溝の清掃やヘビの捕獲、害獣対応など、市民のトラブルを少ない予算と機転で解決する様子を描く[要出典]

すぐやる菓

松戸市内の老舗菓子店「栄泉堂 岡松」(大正3年創業、4代目店主・松戸英二)は、すぐやる課にちなんだ菓子を2世代にわたり製造している[34]

1970年(昭和45年)、すぐやる課設立の翌年に先代が「寿久弥留菓」(すぐやるか)を製作・販売したのが始まりである[34]

2009年には設立40周年を記念して2代目の「すぐやる菓」が発売された。蜂蜜をたっぷり練り込んだ生地にこし餡を包んだ焼菓子(蜂蜜饅頭)で、蜂蜜を使用しているのはすぐやる課への依頼でスズメバチの巣駆除が最も多いことにちなんでいる。1個151円[34][35]

所在地・連絡先

脚注

参考文献

関連項目

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