観峰は自然豊かな土地を気に入り、山の中にすめら学園を設置した[2]。鉄筋3階建ての管理棟・宿泊棟・研修棟の計3棟が建設された[1]。敷地面積は48万2000平方メートルで、当時としては日本最大規模の研修施設であった[2]。宿泊棟の収容人数は約100人に上り[1]、これも当時最大規模であった[2]。しかし山の中という環境のため、当初は水道が通っていなかった。当時の滋賀県議会議員であった北川弥助が協力して水道が引かれることになった[1]。
すめら学園では春と秋にそれぞれ2,3か月の養成講座が開講された[3]。受講者は主に指導者を志す若年層の女性に占められ、技術習得のため日本全国から多くの受講者が来訪した[2]。受講者数は閉校までに約8000人に上った[2]。