福岡藩の儒学者・貝原益軒が記した『筑前国続風土記』には、博多の商人が高祖城主の原田氏に素麺を献上したことが記されている[1]。
素麺に鶏肉や野菜をのせた、現在の形のそうめんちりが食べられ始めた正確な時期は不明だが[1]、明治30年代以前にはすでに存在しており[1]、農作業を通しての交流や、婚姻による地域間の関わりなどによって次第に広まっていったと考えられている[1]。
また、糸島には初盆の家に子どもたちが素麺を供える習慣や、盆明けに地域で集まって素麺を食べる風習が存在し[1]、素麺が単なる食べ物ではなく、地域の伝統文化の一つとして重要な役割を果たしている。