たいまつの戦い

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1583年5月9日 - 5月11日
場所デルベント付近
結果 オスマン軍の決定的勝利
たいまつの戦い
オスマン・サファヴィー戦争 (1578年–1590年)
1583年5月9日 - 5月11日
場所デルベント付近
結果 オスマン軍の決定的勝利
衝突した勢力

オスマン帝国の旗 オスマン帝国

サファヴィー朝
ジョージア非正規兵
指揮官
オスマン・パシャ
カフェル・パシャ
ハイダル・パシャ
イマーム・クル
リュステム・ハン
Burhaneddin
戦力
諸説あり 50,000人以上

たいまつの戦い (トルコ語: Meşaleler Savaşı  英語: Battle of Torches[1]) は、オスマン・サファヴィー戦争中の1583年5月に発生した戦闘。夜間にもつれこんで両軍がたいまつを掲げて戦ったことから、この名がついた[1]。戦いはオスマン帝国軍の勝利に終わり、これ以降サファヴィー朝ダゲスタンシルヴァンを奪回できず、戦争がオスマン陣営の決定的優位に傾く転機となった。

サファヴィー朝の内紛に乗じて侵攻を始めたオスマン帝国は、瞬く間にコーカサスの大部分を征服した。オズデミオール・オスマン・パシャオズデミル・パシャの息子)が新征服地の長官に任じられ、カスピ海沿岸のデルベントに首府が置かれた。しかしオスマン軍がイスタンブルに帰ってしまうと、サファヴィー朝の将軍イマーム・クルが徐々に失地を回復し始めた。コーカサス防衛のため、1579年夏にオスマン帝国の属国クリミア・ハン国からアディル・ギレイ・ハン率いる援軍が駆け付けたが、サファヴィー軍に大敗を喫した。アディル・ギレイ・ハンは捕らえられてガズヴィーンに幽閉され、のち処刑された[2]。この結果、オスマン・パシャは北コーカサスへの撤退を余儀なくされた[要出典]。1582年、オスマン帝国はコーカサス再奪取を試みて、カッファの長官カフェル・パシャ率いる援軍第二陣を派遣した[3]

戦闘

戦後

脚注

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