つま恋ガス爆発事故
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事故の詳細
満水亭は、夏季はバーベキューハウス、冬季は和風レストランとして鍋物を提供していた。夏季はガス貯蔵庫(500キログラム入りガスボンベ4本)から地下埋蔵のガス管を経て、店舗内のバーベキューテーブルの床下に設置したガス栓からゴム管で床上へガスを供給していた。一方、冬季は床に畳を敷き詰め、その上に2キログラム入りのガスボンベを置き、そこからガスを供給していた[2]。
事故発生前の11月13日、夏季から冬季への模様替えを行ったが、その作業の過程において作業員が調理器具を繋ぐ末端のガス栓を閉めずに器具の撤去を行い、99箇所のうち31箇所のガス栓が開いたままの状態となった[3]。この作業手順のミスは、工事期間中はガスの元栓が締められていたことから発覚しなかった。
模様替え後初営業日となった11月22日12時過ぎ、調理場の湯沸かし器を使用するため元栓が開かれる[4]と同時に、開かれたままのガス栓からガスが一気に漏出した。そのとき漏れたガスの量は、爆発の時点で1日の平均使用量の2倍に達していた[5]。だが湯沸かし器が作動しなかった[1]上、ガス漏れ警報器(4機のうち2機が作動。残り2機は整備不良のため作動せず)が作動し、従業員の1人が責任者に電話で連絡し、責任者は事務所へ電話したが、客への避難誘導やガスの元栓を閉めるなどの対処は行われなかった[3]。店内にいた客もガスの臭いに気づき、たばこを控えた者、火を使わず仕出し弁当を食べた者もいた[6]。2キログラムのガスボンベと湯沸かし器のチェックを行ったにもかかわらず、サービスカウンターのガス漏れ警報機が作動したため、食堂課からの連絡を受けて施設課員が満水亭に到着した直後の12時48分ごろに漏れたガスが引火して、大爆発を起こした。このガス爆発により客や従業員ら14名が死亡、27名が重軽傷を負った。
爆発直後の12時50分にガス貯蔵庫の元栓が止められ、消防隊により13時55分に鎮火した[1]。
事故に伴う影響
つま恋ガス爆発事故の発生直後、施設の親会社である日本楽器製造(現・ヤマハ)と関連会社のヤマハ発動機はしばらくの間、テレビCMなど一切の広告活動を自粛した。これに伴い、日本楽器製造一社提供のラジオ番組『コッキーポップ』(ニッポン放送制作。MBSラジオ、RKBラジオ他にネット)も番組冒頭のアナウンス"この番組は、ヤマハの提供でお送りします"の部分をカットし、CMの枠を公共広告機構(現:ACジャパン)の啓発CMに差し替える措置を取った。日本楽器製造は速やかに事故の責任を認めて示談に応じ、犠牲者の遺族及び負傷者に賠償金を支払った。
事故後、LPガス事業者は新設される家庭用程度の用途のガス栓をヒューズコックへと切り替え、既存の設備も安全点検の際に配布されるパンフレットなどで早期の交換を促した。
中日ドラゴンズは1983年12月5日から10日間、ヤマハ発動機グラウンドで中尾孝義、宇野勝、平野謙、郭源治ら中堅、若手選手を中心に行う自主キャンプの宿舎としてつま恋の利用を予定していたが、事故を受けて宿舎を磐田市内のホテルに変更した[7]。