つりたくにこ
日本の漫画家 (1947-1985)
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略歴
1947年、兵庫県高砂町東宮町[3](現・高砂市)に生まれた。中学時代に水木しげる、白土三平、平田弘史、さいとう・たかをなどの漫画に親しみ、自らも創作活動を始めた[3]。高砂中学校、高砂高校と進学し、この頃には既に『少女フレンド』などに原稿の持込みをしていた[4]。
1965年に、青林堂が漫画雑誌『ガロ』を創刊。新人募集を行っていた同誌に、つりたは「人々の埋葬/神々の話」を持ち込み、掲載された[4]。その翌年に高校を卒業、上京した。
上京後は講談社や若木書房などにも、はざまくにこ(はざまくに子)名義で少女マンガを描いていた。しかし次第に少女マンガを描くことに苦痛を感じるようになり、1967年ごろにはそのような作風の作品を描かなくなった[5]。1968年には水木しげるのアシスタントも務めたが、約一ヶ月で辞めた[6]。この頃から創作のペースが落ちてきていた。
1972年に結婚し、京都に転居した[7]。しかしその翌年から体調を崩し、不治の病である全身性エリテマトーデス(SLE)に罹患していることが判明[7]。病状は徐々に悪化したため、この時期の作品の発表数は非常に少ない。
1979年に、青林堂から作品集が刊行された。また同年に、病室で『フライト』を完成させ、『ヤングジャンプ』創刊を記念して創設された「青年漫画大賞」に応募(風木繭名義)、佳作となった[1]。『フライト』は翌年に『ヤングジャンプ』に掲載された。継続的に『ガロ』にも作品を発表していたが、1981年の「帰路」(『ガロ』1981年10月)を最後に、1982年以降には作品を発表することはなかった[8]。