へっぐ号銃撃事件
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調査結果
日本のケミカルタンカーである「へっぐ号」(HEGG 5,307t 乗員22人)はメタノールを積載して、インドネシアのスラバヤを出港した。目的地は韓国の釜山港であった。そして1982年1月15日16時50頃、フィリピンのミンダナオ島沖を航行中にフィリピン国防軍の攻撃機(T-28D)に銃撃された。
船体には銃撃による破孔ができ、船員1名が重傷を負った。へっぐ号はそのままフィリピン軍の攻撃を切り抜けて北上。那覇港へと向かった。同月18日、フィリピン政府は「15日6時頃に、国旗を掲げていない不審船に停船命令を発したが無視をされ、14時頃にフィリピン空軍機の警告にも応じなかったため銃撃を行った」と発表した。「同船が国旗を掲げておらず、停船命令にも応ぜず、武器密輸船の疑いがある国籍不明船であるため銃撃した」旨を説明、正当性を主張した。
海上保安庁の巡視船PL105「もとぶ」、PL126「くにがみ」が、事情聴取と現状把握のためにへっぐ号へと急行し、20日の9時前に沖縄本島南方130海里(240km)の海上で同船を確認。巡視船「もとぶ」から調査員が派遣され、翌21日にへっぐ号は那覇港に入港。25日まで、海上保安庁による徹底的な調査が行われた。
武器やテロリストの輸送については、痕跡は認められず、乗組員も全員一致して否定。 停船命令については、15日6時頃の警備艇からの警告を船橋当直者らが認めておらず、船長は同日14時頃の空軍機からの信号弾も1回目は停船命令と認識せず、2回目に銃撃を受けてから停船命令であったと認識したと主張した。 また、引き続き行われた銃撃に危険を感じたため、航行を続行したと主張した。 国籍を示す日章旗の掲揚は、空軍機が1回目の信号弾投下時まで掲げていなかったと判断された。
なおフィリピン側がこのような武力行使に出た経緯であるが、ミンダナオ島周辺海域は海賊が出没するうえに、ミンダナオ島ではイスラム系モロ族の反政府ゲリラがテロ行為を続けており、へっぐ号がゲリラへの武器を運搬する輸送船と疑っていたにもかかわらず、停船に応じないため逃走と判断し銃撃したというものであった。