よみうり
かつて存在した読売新聞社傘下のコングロマリット
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営業していた部門
歴史
プロ野球球団としての創業
1934年12月26日にプロ野球球団大日本東京野球倶楽部(だいにっぽんとうきょうやきゅうくらぶ。のちの東京巨人軍→東京読売巨人軍/読売ジャイアンツ)を運営する「株式会社大日本東京野球倶楽部」として設立された[4]。
創設者は、読売新聞社社長の正力松太郎だったが、同社の子会社ではなく、京成電気軌道を筆頭に、東京芝浦電気・目黒蒲田電鉄[5]・阪神電気鉄道[6][7]・吉本興業などが株主として名を連ねており、読売新聞社の名は上位大株主にはなかった[8]。経営陣は、代表取締役が大隈信常[4]、取締役が正力[4]、庄田良[4]、後藤圀彦(後藤国彦[4])、市岡忠男[4]、林正之助らであった。
たび重なる球団運営体制の変遷
1945年11月の国内プロ野球活動再開に伴い、東京巨人軍の運営会社として再開するが、1946年8月9日より読売新聞社の運営となる[10]。1947年に読売新聞社が全面的に株式を買収。同年2月15日に「読売興業株式会社」(よみうりこうぎょう)へ商号(社名)を変更[10]し、巨人軍は同社野球部となる[10]。1950年1月25日に巨人軍(野球部)を分社化し「株式会社読売巨人軍」(よみうりきょじんぐん)を設立する[11]も、わずか1年2ヶ月後の1951年3月30日で解散し、読売興業に再移行している[11]。
新聞事業の進出・不動産会社の吸収

1963年には福岡県北九州市で当社が一部門として読売新聞西部本社[12]を発足させ、1964年9月23日に読売新聞西部版を九州地域・山口県・島根県の一部向けに創刊した。更に千代田区有楽町の読売会館[13]を運営するビル管理会社・読売会館を吸収合併。巨人軍(野球部)、新聞発行、不動産管理[14]の3本柱による複合企業となる。
また、1988年6月1日には経営不振だった中部読売新聞社(愛知県名古屋市に本社を置き、三重県の一部を除く東海3県向けに中部読売新聞、報知スポーツを発行していた会社[15])を合併吸収し、新たな部門として読売新聞中部本社を発足した[16]。これらは広義のフランチャイズ契約とほぼ同じだった。
社名変更→会社再編に伴う消滅
1992年6月22日に、社名を「読売興業」から「よみうり」に改めた[17]が、2002年7月1日に、読売新聞社(東京本社)[18]、大阪読売新聞社(大阪本社)と経営統合した上で持株会社へ移行し読売新聞グループ本社として再スタートを切り、よみうりが管轄していたジャイアンツ(野球部)は「株式会社読売巨人軍」(第2期)として、また新聞発行部門の中部本社は企業分割をした株式会社読売新聞東京本社の中部支社に格下げ。西部本社は株式会社読売新聞西部本社に企業分割を行った[1]。
会社再編のあらまし
2002年以降のグループ再編によって、「よみうり」社は事業ごとに分割されて消滅した。ここに改めて整理。
関連会社
- スポーツ報知西部本社…福岡県に本社を置き、九州地方と山口県でスポーツ報知の発行を手掛ける会社。1997年11月に当社の出資により設立された。2002年7月の読売グループ再編に伴い、読売新聞西部本社の子会社となる。