ポルトガル統治時代には、ポルトガルの独裁者アントニオ・オスカル・カルモナ(António Óscar Carmona)にちなんでヴィラ・オスカル・カルモナ(Vila Óscar Carmona)と改称されていたが、第二次大戦後、元の地名に戻された。
1903年、アイレウでは植民地支配者に対する反乱が起きたが、失敗に終わった。1912年1月には、マヌファヒ反乱に対抗するためのポルトガル軍の拠点として用いられた[3]。
1942年から1945年にかけて、日本軍がポルトガル領ティモールを占領した。1942年8月31日、町は日本軍の同盟勢力であるティモール人部隊コルーナス・ネグラス(Colunas Negras)に侵入され、ポルトガル兵5名のほか、複数の行政官や宣教師が殺害された。現在、アイレウにはこの虐殺を追悼する記念碑が建てられている。
1979年末、インドネシア軍は東ティモール人のための移住キャンプをアイレウに設置した。1999年東ティモール危機の最中である9月上旬には、インドネシアの民兵組織「アク・ヒドゥップ・ドゥンガン・インテグラシ(Aku Hidup dengan Integrasi)」によって、周辺の複数の村の住民が自宅から追放された。9月6日にはセロイ・クライク(Seloi Craic)村が破壊され、家屋は焼き払われ、家畜は殺された。
1999年末には、独立後の東ティモールの新首都をアイレウとする案が一時的に検討されたが、最終的にはディリが選ばれ、この計画は却下された[4]。