アウグスト・カーニッツ
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現在のルーマニアのルゴジで生まれた。ナジケーレシュ(Nagykőrös)やティミショアラの高校を卒業した後、1861年にウィーン大学に入学し、医学と自然科学をウンガー(Franz Unger)やフェンツル(Eduard Fenzl)、ナイルライヒ(August Neilreich)のもとで学んだ。1864年にスラヴォニア、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダ、イタリアへ研究旅行し、1867年のパリの植物学会議にも参加した[1]。テュービンゲン大学でフーゴー・フォン・モールのもとで研究し、博士号を得た。1869年から1872年の間、ハンガリーのモションマジャローヴァールの高等農業学校の教授を務めた後、現在のルーマニアのクルジュ=ナポカに新たに設立された大学(現在のバベシュ・ボヨイ大学)の教授に任じられ、大学植物園や標本館を設立した。スラヴォニア、ルーマニア、ボスニア、モンテネグロ、アルバニア、セルビアなどの植物の分類学研究を行った。ハンガリーで働いた植物学者たち、キタイベル・パール、ヨハン・ホイフェル、アウグスト・グリーゼバッハらと交流し、1877年から1892年の間、植物事典、"Magyar Növénytani Lapok"を編集、出版した[2]。
キク科の植物の種、Helenium kanitzii などに献名された。
