アウグスト・レスキーン
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1840年、キールに生まれた。キール大学およびライプツィヒ大学で文献学を学び、1864年に博士の学位を得た。青年文法学派の他の学者と同じく、レスキーンはゲオルク・クルツィウスの学生だった。在学中に南東ヨーロッパを旅行して南スラヴ語に接し、また農民から低地ソルブ語を学んだ[2]。
1864年からライプツィヒのトーマス学校でギリシア語・ラテン語を教えたが、その地位に満足せず、1866年からイェーナ大学でアウグスト・シュライヒャーに学び、1867年に論文「ホメーロスにおける未来とアオリスト」で教授資格を得た。1867年から1869年までゲッティンゲン大学の私講師をつとめた。1868年に師のシュライヒャーが急死したため、その後継としてイェーナ大学の比較言語学およびサンスクリットの員外教授に就任した。1870年にはライプツィヒ大学に移り、スラヴ学教授をつとめた[2]。
1876年、レスキーンはヴァトロスラヴ・ヤギッチとともにスラヴ語に関する学術雑誌『Archiv für slavische Philologie』を創刊した[2]。