アスカロンのエウトキオス
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エウトキオスの生年は長らく、誤解に基づいて、530年とされてきた[1][2]。エウトキオスがアルキメデスの『球と円柱について』(Περὶ σφαίρας καὶ κυλίνδρου)に付した註解書の、伝世した写本においては、第2巻の末尾に「この版は私たちの先生、建築家のミレトスのイシドロス師に査収していただいた」という一文がある[1][2]。過去の学者は、この記述をエウトキオスが書いたものと信じ込み、エウトキオスをイシドロスの弟子あるいは後世の人と理解したうえで、イシドロスの活躍年代(fl.532-537)から逆算して、エウトキオスの生年を530年頃と推定した[1][2]。同註解書の伝世写本には、ほかにも、放物線を描くための道具に「わが師イシドロスにより発明された」などといった一文が付されている箇所もある[2]。これらの記載は、長らく、師弟関係やおおよその活躍年代の推定における混乱の元になっていたが、現代では、後世の人による挿入であるという説が有力である[1][2]。
アルキメデス『球と円柱について』への註解書、第1巻はプロクロスの弟子のアンモニオスに献呈されている[1][2]。アポロニオス『円錐曲線について』への註解書はアンテミオスに献呈されている[1][2][3]。