アダム・ヨハンソン
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| 名前 | ||||||
| 本名 | アダム・ペル・アレクサンデル・ヨハンソン | |||||
| ラテン文字 | Adam Johansson | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1983年2月21日(42歳) | |||||
| 出身地 | ヨーテボリ | |||||
| 身長 | 183cm | |||||
| 体重 | 75kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF(RB) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
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| -2000 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 2000-2001 |
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| 2002-2004 |
| 66 | (1) | |||
| 2005-2011 |
| 129 | (1) | |||
| 2012-2013 |
| 21 | (0) | |||
| 2013-2016 |
| 45 | (0) | |||
| 代表歴2 | ||||||
| 2002-2005 |
| 13 | (0) | |||
| 2009-2013 |
| 18 | (0) | |||
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1. 国内リーグ戦に限る。2020年1月25日現在。 2. 2020年1月20日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
アダム・ヨハンソン(スウェーデン語: Adam Johansson、1983年2月21日 - )は、スウェーデンの元サッカー選手。元スウェーデン代表。ポジションはDF。
2005年にヴェストラ・フルルンダIFからIFKヨーテボリに移籍。当初はレギュラーとしては考えられていなかったが、2007年にはレギュラーとしてアルスヴェンスカン26試合中24試合にスターティングメンバーとして出場するようになり、この年にリーグ制覇を成し遂げた。2009年には本職の右サイドバックではなく、左サイドバックとして起用される事も多かった[1][2]。2010年12月にはサンダーランドAFC、ACFフィオレンティーナが獲得に動いたが、ヨーテボリに残留した[3][4]。
2011年12月29日にメジャーリーグサッカーのシアトル・サウンダーズFCに加入、ジェイムズ・リリーの代わりとしての獲得であった[5]。契約前には当時ニューヨーク・レッドブルズで監督を務めていたハンス・バッケやシアトル・サウンダーズに既に在籍していたフリベリにリーグの事を聞いており[6]、2012年1月にアリゾナ州で行われるキャンプでチームに合流した[7][8]。3月8日のCONCACAFチャンピオンズリーグ2011-12準々決勝で移籍後初出場[9]。メジャーリーグサッカーでは同月17日に初出場した[10]。ハムストリングスの怪我もあって夏まではレギュラーを掴み取る事が出来なかったため[11][12]、ニューヨーク・レッドブルズ戦で2アシストを記録し2-2の引分に試合をした他方[13]、USオープンカップには全く出場出来ず[14]、8月に行われたCONCACAFチャンピオンズリーグ2012-13の試合も僅かに1分の出場に止まった[15]。2013年3月19日にシアトル・サウンダーズを退団[16]。
その後は再びIFKヨーテボリに加入し、2016年まで在籍した。同年に選手を引退した。
代表歴
U-21代表として2002年から2005年にかけての3年間出場していた。
2009年1月24日に行われたアメリカ合衆国代表戦でA代表初出場となったが、マーベル・ウインを引っ掛けてペナルティキックを献上、この1点が仇となり3-2で敗北した[17][18]。2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選には3月28日のポルトガル代表戦で初出場、0-0のドローで試合は終った[19][20]。同予選には他2試合に出場したが、スウェーデンは本戦進出とならなかった[21][22][19]。
2010年内はUEFA EURO 2012予選・グループEにも親善試合にも招集されなかったが、2011年1月19日に行われたボツワナ代表戦で1年半ぶりに代表復帰[23]。2月の代表戦でもキプロス代表戦には出場した[24][25]。同年も親善試合のみの出場でUEFA EURO 2012予選には招集されなかった[26]。
2012年になってもバーレーン代表、カタールU-23代表戦の親善試合で出場したのみであった[27][28]。UEFA EURO 2012には招集されず[26][29][30]、その後も中国代表との親善試合で20分に負傷交代したミカエル・ルスティグに代わって投入されたのみであった[31]。同年内に行われた2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選グループCにも招集はされど出場は出来ずじまいであった[32][33][34]。
2013年はキングスカップ2013の準決勝で出場すると[35][36]、PK戦の末に勝利して進んだ決勝でも出場した[37]。同年、2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選2試合に出場したのが、代表としての最終試合であった。