アッティラ・シハー

ハンガリーのヘヴィメタルミュージシャン From Wikipedia, the free encyclopedia

アッティラ・シハーアッティラ・チハーAttila Csihar1971年3月29日 - )は、ハンガリーブダペスト出身のヘヴィメタルミュージシャン

別名 Void ov Voices
生誕 (1971-03-29) 1971年3月29日(55歳)
概要 アッティラ・シハーAttila Csihar, 基本情報 ...
アッティラ・シハー
Attila Csihar
メイヘム - ドイツ公演 (2015年8月)
基本情報
別名 Void ov Voices
生誕 (1971-03-29) 1971年3月29日(55歳)
出身地 ハンガリーの旗 ハンガリー ブダペスト
ジャンル ブラックメタル
ドゥームメタル
ドローンメタル
職業 ボーカリスト
ギタリスト
作詞家
担当楽器 ボーカル
ギター
活動期間 1985年 -
共同作業者 メイヘム
キープ・オヴ・カレシン
アボリム
ベリアル・チェンバー・トリオ
グレイヴテンプル
コログ
プラズマ・プール
Sunn O)))
トーメンター
ペンテンプル
公式サイト MySpace
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主にブラックメタルの分野で活動している。特にメイヘムボーカリストとして著名。「Void ov Voices」というソロプロジェクトも知られている。ハンガリー人の姓名表記では、チハル・アティッラ (Csihar Attila)となるが、本記事ではバンド活動などで主に使われるヨーロッパ風の姓名表記を用いる。

彼のボーカルは、作家のイアン・クライスト英語版に『オペラティック』であると評された[1]

略歴

1985年に、ハンガリーブラックメタルバンドトーメンターボーカリストギタリストとして活動を始める。アルバムと同程度の曲数を収録したデモテープ『Anno Domini』[注釈 1][2]をリリースするも、その後、トーメンターは1991年に解散[3]。トーメンターの活動で、ノルウェーのメイヘムとの関わりが生まれ、デッド自殺によって空席となっていたメイヘムにセッション・ボーカリストとして招かれた。そして、1stアルバム『De Mysteriis Dom Sathanas』に参加した。

メイヘムに参加した後、アッティラは、プラズマ・プールアボリムやコログのような様々なバンドで活動するようになる。また、ハンガリーでロック・オペラジーザス・クライスト・スーパースターにカイアファ (Caiaphas)として出演したこともある。また、再結成したキープ・オヴ・カレシンにボーカリストとして短期間参加した。

また、アメリカドゥームメタル/ドローンメタルバンド、Sunn O)))の影のメンバーでもある[4]。アッティラは、Sunn O)))で5枚のフルアルバムに参加した。その中には、Sunn O)))の最も成功したアルバム『Monoliths & Dimensions』が含まれ、世界を周るツアーにも参加した。

2004年には、マニアックの脱退したメイヘムに加入した。1992年に1stアルバムのレコーディングに参加した時から実に12年経過して、正式加入することとなった。加入前から不安定な状態にあったメイヘムは、アッティラ加入後もしばらく目立った活動は無かったが、徐々に持ち直し、2007年に4thアルバム『Ordo Ad Chao』をリリース[5]。同アルバムは、ノルウェーのグラミー賞と呼ばれるSpellemannprisenを受賞し、ワールドワイドツアーを敢行した。

また、Sunn O)))のグレッグ・アンダーソンオーレン・アンバーチベリアル・チェンバー・トリオというプロジェクトも始めている。また、この他にもSunn O)))のスティーヴン・オマリー、オーレン・アンバーチとグレイヴテンプルというプロジェクトでも活動している。

2008年11月にはソロ・プロジェクト、Void on Voicesを始動させる。同プロジェクトは、ウルヴェルなどのバンドのサポートアクトとしても活動した。

彼は、ディセクションエンペラートーケ、ウルヴェル、カレント93Jarboe、Toby Knapp、Banks Violette、Nader Sadekなどの多くのアーティストとのコラボレーションも行っている。

彼は、映画製作所で働いていた。トニー・スコット監督の『スパイ・ゲーム』では、プロダクション・デザイナーのノリス・スペンサーの最初のアシスタントを務めた。

ギャラリー

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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