シュトス峠の戦いに勝利したアッペンツェル市は、ザンクト・ガレン市と同盟を結びなおした。この同盟は「海を越える同盟」(スイス語: Bund ob dem See 、海とはボーデン湖のこと)という通称で知られる。これにより、オーストリアのボーデン湖地域における影響力は大きく揺らいだ。1406年までに、同盟軍は60以上の城を落とし、うち30を破壊した。またザンクト・ガレン修道院長までも捕虜としたため、アッペンツェル市はコンスタンツ司教により破門された。
同盟軍が勢力を伸長している間に、オーストリアは体制を立て直した。また1406年9月11日、平民で構成された同盟軍に対抗するべく、周辺の貴族たちにより「聖イェルゲンの盾騎士団」(スイス語: Sankt Jörgenschild )が結成され[4]、1407年に同盟に参加した都市ブレゲンツを包囲した。救援に向かったアッペンツェル軍は騎士団・オーストリア軍に敗北し、同盟は空中分解した。ザンクト・ガレン市とシュヴィーツ州はオーストリア軍の攻撃を避けるために貢納金を支払い、1408年4月4日にローマ王ループレヒトが同盟を解消させた。