アフマド・ラーホーリー
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アフマド・ラーホーリー、より詳しくはアハマド・ミーマール,アル=ラーハウリー(احمد معمار اللاهوري: ラーホール出身の建築家アフマド)あるいはウスタード・アハマド,アル=ラーハウリー(استاد احمد لاهوری: ラーホールのアフマド師)は、詩人で技術者のルトフッラー・ムハンディス(لطف الله مهندس بن احمد معمار)の父親である[2][5]。なお、ルトフッラーの息子で、同じく詩人で Muntakhab khulāṣat al-ḥisāb という著作があるイマームッディーン・ラーホーリーは孫にあたる[6]。
ルトフッラー・ムハンディスによると、アフマド・ラーホーリーは、ラーホールで1580年に生まれ、1649年に亡くなった。バダフシャーンからヒンドゥースターンに移住してきた家系の生まれである。1630年代に始まったタージ・マハル廟や、シャージャハーナーバード(デリー)のラール・キルア(赤い城)の建築にたずさわった[2]。


