アブドゥッラー物語
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評価
本作は、マレー文学が、宮廷や英雄を賛美する古典文学から近代文学へと移行する先駆けとなったと評されているほか[2]、マレー文学において初めて「リアリズム」という分野を切り開いたとも評されている[3]。また、1957年のマレーシア独立以前から、マレー語教育に欠かせない教材とされてきた[1]。
本作について、押川典昭は「この物語のマレー文学における革新性は、なによりも作者たる『私』が『私』=アブドゥッラーの物語を語るというところにある」と評しているほか[4]、鈴木佑司は「マレー人でないアブドゥッラーにとり行きつくところはマレー語とマレー文学での貢献と、『アッラー』への信仰を介して人種の違いを越えて結びつく同朋愛であったとしても何ら不思議ではない。『物語』の端々にそれが現われ、(略)第二巻の殆んどがそれに当てられていることにも示されていよう」「マレー半島の歴史に関心があるものにとり、いかに『ジャーナリスト』的ではあれ冷静な観察者として描き出した当時の事情は貴重な歴史の証言である」と評している[1]。
また、本作の評価の揺れについて、山本博之は以下のように指摘している[5]
『アブドゥッラー物語』(1849年)の著者アブドゥッラーは自身をマレー人と認識していなかったが、同書は「現地民によってマレー語で書かれた最初の近代的な文学作品」と評価された。ここには、マレー語はマレー人の民族語ではなく、マレー語を学ぶことで媒介される共同体が非マレー人にも開かれていたという認識がうかがえる。これに対し、1941年にマレー語の文法書を刊行し、後に「マレー語の父」と称されるザッバは、アブドゥッラーはマレー人ではなくタミル人であって、『アブドゥッラー物語』は外国語訛りの拙いマレー語を操る外国人の著作であると位置づけた。マレー人を民族喪失の危機から救おうとし、そのため均質で統一された民族語としてのマレー語を求めたザッバは、「マレー的なるもの」をマレー人とそれ以外に分けるイギリス人植民者の考え方を内面化していた[5]。
