アブラハム・アンヘル
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メヒコ州のエル・オロ・デ・イダルゴ(El Oro de Hidalgo)で生まれた。父親はスコットランドかウェールズ出身の鉱夫のEdward Card Burke (イギリスでの姓は、Carthburke Beedgar)であり、5人兄弟の末子であった。父親は金や銀を採掘して稼ごうとして家族を置いて、メキシコ各地を転々とし、メキシコのシナロア生まれの母親も子供たちを残して、殆ど家族のところへ帰ることの無かった父親のもとに移った。
一家の長となった兄とともに、アブラハム・アンヘルはプエブラに移り、そこで暮らしていたが、11歳の時に、メキシコシティに移り、母親や姉と兄と暮らした。16歳で絵を学ぶために、国立美術アカデミー(Academia Nacional de las Nobles Artes、かつてはアカデミア・デ・サン・カルロスとして知られていた。)に入学することを兄に反対され、家族から絶縁される事になり、その後は姓のカルド・ヴァルデスを用いず、アブラハム・アンヘルの名前で活動することになった。
この頃には、画家のマヌエル・ロドリゲス・ロサノ(Manuel Rodríguez Lozano: 1896-1971)と同性愛の関係になったとされ、アブラハム・アンヘルはロドリゲス・ロサノの家に住み、彼からメキシコの美術指導者アドルフォ・ベスト・マウガルド(Adolfo Best Maugard: 1891-1964)に影響を受けたスタイルの絵画を教えられた[1] 。
1年ほどたった後、ロドリゲス・ロサノが別の若い芸術家のフリオ・カステリャノス(Julio Castellanos González: 1905-1947)とより親密に付き合うようになった。1924年10月に、アブラハム・アンヘルはコカインの過剰摂取で死亡しているのが発見された。事故であったか自殺であったかは、確定していない。
約20点の独特なスタイルの肖像画や風景画などが残されている。