アブラーム=ルイ=ロドルフ・デュクロ
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ヴォー州ブロイエ・ヴュリーのMoudonに生まれた。1769年にジュネーブに移りファッサン(Nicolas-Henri-Joseph de Fassin)に学んだ後、イタリアに移り、1776年の終わりからローマに住んだ。1778年にオランダ貴族に雇われてシシリーとマルタへの旅に同行し、旅先で300点近い水彩画を描いた。1793年までローマで風景画家として働いた。版画家のジョヴァンニ・ヴォルパトと協力して24点のローマやその周辺の風景を版画にして1780年に出版した。1782年にロシア大公パーヴェル・アレクサンドロヴィチの依頼て2点の作品を描き、同じ年にローマ教皇、ピウス6世にも作品が買い上げられ、1784年にはスウェーデン王、グスタフ3世が多くの作品を買い上げたが、デュクロにとっての最大の顧客は、「グランドツアー」でイタリアを訪れる、イギリスの貴族、上流階級の子弟であった[1] 。
フランス革命の混乱から、ローマ教皇領の多くのフランス人は追放され、フランス系のデュクロも1793年に追放され、アブルッツォに移った後、ナポリで1799年まで暮らした。ナポリで描いた風景画もイギリス人の貴族が購入した。1800年にイギリス領になった、マルタに移り、トーマス・グラハム将軍のためにマルタの街バレッタの風景を描いた。
1807年の夏にスイスに戻り、ニヨン、ローザンヌで暮らし、1807年にジュネーブの美術協会の名誉会員となり、1809年にはベルンの美術学校の教授に任命されたが就任する前にローザンヌで没した。
デュクロの作品はローザンヌの美術館やイギリスのブラモール・ホール(Bramall Hall)などで見ることができる。