アブ・メナ
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アレクサンドリアのメナス (Saint Mina) は3世紀後半もしくは4世紀初頭に殉教した。その後形成された彼の埋葬譚には幾つかの変種があるが、その骨子は以下のようなものである。アレキサンドリアから彼の亡骸がラクダに乗せて運ばれ、Lake Mariout を越えて砂漠を渡ったときに、ラクダが足を止めた。押せども引けどもラクダはそれ以上歩こうとしなかったので、これは神意であると受け止められて、彼の遺体はその場に葬られた。物語のほとんどのバージョンでは、彼の墓の位置は地元の羊飼いによる奇跡的な発見まで忘れられていたとする。それに拠れば、羊飼いはメナスの墓所で羊の病気が癒えるところに居合わせたのだという。
羊飼いが経験した治癒の力の話は瞬く間に広がった。エチオピアの聖人略伝集 (en:Synaxarium) は、コンスタンティヌス1世が病気の娘を羊飼いの下に送り、娘が快癒した結果、この地でキリスト教に改宗したと伝えている。もちろん、この話は実証されたものではなく、コンスタンティヌス1世の代わりに5世紀の東ローマ皇帝ゼノンを主役にした異伝もある。もっとも、そちらの説は、考古学者たちの研究では、アブ・メナの建築物群の最初のものは4世紀半ばと位置づけられているので、年代的に齟齬を来している。
歴史的には、この地は4世紀後半までに、治癒をはじめとする奇跡を求めるキリスト教徒たちにとって、重要な巡礼地となっていた[1]。アルカディウスの治世には、地元の大司教は、小さな教会に大勢の巡礼者たちが押し寄せてくるのを目撃し、東ローマ皇帝に対し、キリスト教の三大拡張期の最初のものが起こっている様子を書き送った。古代が終わるまでに、アブ・メナはエジプトにおける中心的巡礼地となっていた[2]。しかし、7世紀半ばに、イスラム教徒たちに征服され、アブ・メナは破壊された。
