アメリカ体操連盟性的虐待事件

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アメリカ体操連盟性的虐待事件(アメリカたいそうれんめいせいてきぎゃくたいじけん)では、事件当時アメリカ体操代表チームのドクター・オブ・オステオパシー英語版(整体を専門に取り扱う医師。参考:オステオパシー)だった米体操協会のラリー・ナサール英語版が行った、主に未成年の女性選手らに対する性的暴行事件について述べる。

米体操協会の元ドクター・オブ・オステオパシーのラリー・ナサールが、医療行為であると偽り選手たちに性的暴行を行い、被害を受けたと主張する選手らから、彼に対する何百件もの訴訟が起こされた。

最初の訴訟は2016年10月に起こされてから後、ジェイミー・ダンツスチャー英語版ジャネット・アントリン英語版マッケイラ・マロニーアリー・レイズマン英語版マギー・ニコルズ英語版ギャビー・ダグラス英語版シモーネ・バイルズジョーディン・ウィーバー英語版といったアメリカ体操女子代表選手らを含む140人以上の女性がナサールから性的虐待を受けた経験があると述べている。

2017年7月にはナサールは児童ポルノ法違反について罪状を認め、60年の禁固刑を宣告された。2017年11月22日にはナサールは7件の第一級性的暴行を認め、別の3件の性的暴行については1週間後に有罪答弁が行われた。これはスポーツの歴史における最大級の性的暴行事件である[1][2][3][出典無効][4]

2024年4月23日、アメリカ司法省は、アメリカ連邦捜査局がこの性的虐待事件の捜査の初期対応を怠ったことを認め、被害者100人以上との間で1億3870万ドルの和解に合意した[5]

犯人の経歴

1963年誕生。1978年、兄がアスレティックトレーナーとして働いている北ファーミントン高校に入学した彼は兄から推薦を受け、同高校の女子体操チームの学生アスレティックトレーナーとして働き始める。 1981年、同高校を卒業[6][7]キネシオロジーを学ぶためミシガン州立大学へと進学し、1985年学士号を取得[7]。在学中には同大学のサッカーと陸上競技のチームで働いていた[8]

1986年、アメリカ体操代表チームのアスレティックトレーナーとして働き始める[8]。 1993年、ミシガン州立大学のオステオパシー医学科で博士号を取得。セントローレンス病院の地域医療科で研修医として実務訓練を積む。1996年10月19日結婚し、イーストランシングの聖ヨハネカトリック教会で挙式。妻との間には一男二女を儲ける[6]。1997年、スポーツ医学フェローを修了した後[8]、ミシガン州立大学オステオパシー医療カレッジの地域医療科のアシスタントプロフェッサーとして勤務し、10万ドルの年収を得ていた[6]

1996年から2014年の間、ナサールはアメリカ体操連盟代表チームの医療コーディネーターだった[8]。逮捕時には彼はミシガンのホルトに居を構えていた[6][8]

2023年、刑務所において胸を6回、背中を2回、首を2回刺された[9]

性的虐待に対する申し立て

ナサールはオステオパシック・フィジシャンの有資格者であり、アメリカ体操連盟の代表チームのスポーツ医でもあった[10][11]。ナサールはまた自身が教職員を勤めるミシガン州立大学においてクリニックを運営していた[10][12]。2015年アメリカ体操連盟は「選手たちの不安を(連盟が)聞き知ったため」との理由でナサールを解雇した[13]

2016年9月、インディアナポリス・スター紙が2人の元体操選手がナサールから性的暴行を受けたと申し立てている事を報じた。これに続き、ミシガン州立大学はナサールを配置換えして治療室と教務から引き離し、さらに同月中に解雇処分を下した[13]。これを皮切りに、150人以上の人々がナサールから性的暴行を受けたと申し立てた[14]。彼女らの申し立てによればナサールは診察中に性的暴行を行っており、こうした「診療」は、指を女性器や肛門に挿入することから胸部や性器に対する前戯にまで及んだ。ナサールは当初、自身は正当な医療行為を行っていると主張し、申し立てを否認していた[12]。2017年2月、ジャネット・アントリン、ジェシカ・ハワード、ジェイミー・ダンツスチャーの3人の元体操選手がドキュメンタリー番組『60 Minutes』のインタビューに答え、ナサールから性的暴行を受けたと主張した。彼女らはまた、著名なコーチであるカーロイ・ベーラカーロイ・マールタ夫妻が運営するテキサス州ハンツビルカーロイ・ランチ英語版において行われた代表チームの強化合宿では「心理的虐待組織」が存在し、この組織のためにナサールは容易に選手を利用することができ、また選手は恐怖から性的被害を口外できなくなっているとも主張した[15]。警察に被害を届け出て自身の経験を公にした最初の人物であるレイチェル・デンホランダーが2017年5月法廷で陳述したところによると、2000年彼女は5回の診療において暴行を受けたが、当時彼女は15歳であった[16]

オリンピック銅メダリストのターシャ・シュウィカートと、その妹のジョーダン・シュウィカートもまた、カーロイ・ランチの苛酷な環境とそれをナサールがいかに利用したかについて語っている。親の立ち入りは禁止され、選手はコーチから否定され暴言を浴びせられて、弱音を吐くこともできないような状況で、ナサールは尊敬される医師として、また友達のような存在として選手たちから信頼を得ていた。また日頃から練習に明け暮れる選手たちは世間知らずで性虐待についての知識もなく、ターシャ自身、10年以上経って事件が公になってから自分は被害者だったと気づいたという。さらに従順な選手であることを求めていたアメリカ体操連盟も批判している[17]

オリンピック金メダリストのマッケイラ・マロニーはツイッターでハッシュタグ「#MeToo」を使い、彼女は13歳の頃からナサールによる性的虐待を受けており、これは2016年彼女が現役を引退するまで繰り返されたと主張した[11]。 マロニーはナサール、ミシガン州立大学、アメリカオリンピック委員会、アメリカ体操連盟を告訴した[18]。訴訟ではアメリカ体操連盟はマロニーと125万ドルで秘密保持契約を結ぶことでこの性的暴行を隠蔽しようとしたとする主張がなされた[19]

『60 Minutes』のインタビューの中で、オリンピック金メダリストのアリー・レイズマンもまたナサールから性的虐待を受けたと主張している[20]。レイズマンによれば、ナサールは彼女が15歳の時に性的虐待を行っていた[21]。同じくオリンピック金メダリストであるギャビー・ダグラスはレイズマンに対し、「どうあれ、落ち着いた装いをするのは私たち女性の側の責任である。挑発的な、あるいは開放的な服装は悪い連中を引き寄せる」とツイートしたため、オリンピック代表チームのチームメイトであるシモーネ・バイルズらから批判を浴びた[21][22]。後にダグラスはこのツイートについて謝罪し[23]、ダグラス自身もナサールから性的暴行を受けた経験を持つ被害者であると述べた[24]

かつてのオリンピック代表チームのメンバーであったマギー・ニコルズは彼女はナサールに虐待されたと訴え、彼がフェイスブックを通じて彼女と交流し、事あるごとに外見を褒めることでいかに彼女をグルーミングしたかを記した文章をまとめた[25]。またナサールを最初にアメリカ体操連盟に通報したのは、ニコルズが他の選手にナサールの行動について話しているのをふと耳にした彼女のコーチであるSarah Jantziであったことも報じられた[26][出典無効]。このすぐ後にシモーネ・バイルズが、彼女もナサールに性的虐待を受けたと名乗り出た[27][出典無効]。オリンピック金メダリストであるジョーディン・ウィーバーもまた、ナサールの量刑手続きの場で、彼女がアメリカ体操連盟に所属していた間ナサールから性的虐待を受けていたとの陳述を行った[28][29]

反応と影響

出典

関連項目

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