アメリカ合衆国森林局
アメリカの政府機関、国有林の保全管理をミッションとする
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アメリカ合衆国森林局(アメリカがっしゅうこくしんりんきょく、United States Forest Service、略称:USFS)は、アメリカ合衆国農務省(USDA)に属する連邦政府機関であり、国有林および国有草地の保全・管理を主たる任務とする。
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United States Forest Service | |
| 略称 | USFS |
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| 標語 | Caring for the Land and Serving People(土地を守り、人々に奉仕する) |
| 前身 | 林業局(Bureau of Forestry) |
| 設立 | 1905年2月1日 |
| 設立地 | ワシントンD.C. |
| 種類 | 連邦政府機関 |
| 目的 | 国有林および国有草地の保全・管理 |
| 本部 | シドニー・R・イエーツ・ビル(ワシントンD.C.) |
| 所在地 | 1400 Independence Ave SW, Washington, D.C. |
| 長官 | トム・シュルツ(2025年2月就任) |
| 上部組織 |
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職員数 | 約33,284人(フルタイム換算、2024会計年度) |
| ウェブサイト | https://www.fs.usda.gov/ |
1905年2月1日に設立され、現在は154の国有林と20の国有草地を含む約1億9,300万エーカー(約7,800万ヘクタール)の公有地を管理している[1]。
概要
アメリカ合衆国森林局(USFS)は、国有林システム(National Forest System)の管理、森林・自然資源に関する調査研究、および州・民間・部族の土地管理支援という三つの主要な責務を担う[2]。管轄区域は合衆国本土の43州のほか、プエルトリコおよびバージン諸島に及ぶ[3]。
行政上、全国は9つの地域に分割されており、各地域は地域林務官(Regional Forester)が統括する。地域林務官は国有林システム副長官に報告し、同副長官は森林局長官(Chief of the Forest Service)の指揮下に置かれる。局長官は農務長官を通じて農務省自然資源・環境担当次官に報告する[4]。
2025年2月、農務長官ブルック・ロリンズはトム・シュルツを第21代長官に任命した。シュルツは西部・南部における25年以上の土地管理経験を持ち、前長官ランディ・ムーアの退任を受けて就任した[5]。
歴史
森林破壊と資源枯渇
ヨーロッパ系入植者が北アメリカに到来して以来、森林は農地開墾・建築・暖房・製造用原料として急速に消費されてきた。19世紀前半は人口増加とほぼ同じペースで木材需要が拡大したが、産業革命の到来が状況を一変させた。蒸気動力と鉄道の普及により、木材は地域需要をはるかに超えた工業規模の商品となり、五大湖周辺・アパラチア山脈・南部・西部の原生林が次々と伐採されていった[6]。
木材生産量は1840年の10億ボードフィートから1904年には460億ボードフィートへと急増し、1880年までには農業を抜いて森林破壊の最大の要因となっていた。 当時の木材会社は「伐採して立ち去る(cut out and get out)」と言われるように、各地の森を伐り尽くしては次の産地へと移動し、残された土地には切り株と燃えやすい伐採残材の山だけが残った[7]。
大規模伐採後に放置された残材は山火事の燃料ともなり、1894年のミネソタ州「ヒンクリー大火」(死者418人、延焼面積約32万エーカー)のような惨事も発生する[8]。
乱伐は森林資源の枯渇や山火事の原因にとどまらず、流域の水源機能の劣化・洪水の激化・土壌侵食・農地の砂漠化といった連鎖的な環境悪化を引き起こした。
一方、当時の連邦政府は広大な公有地の大部分を積極的に民間へ払い下げる政策をとっており、組織的な森林管理体制は存在しなかった。
思想的先駆者:J・P・マーシュ
1864年、外交官・学者のジョージ・パーキンス・マーシュ(George Perkins Marsh、1801〜1882)が著書Man and Nature; or, Physical Geography as Modified by Human Action(人と自然)を刊行した。同書は人間の自然への影響を本格的に論じた最初期の著作の一つであり、「地中海文明が山岳地帯の森林を伐採し土壌を侵食した結果として自滅」した歴史を詳述し、合衆国もこの過ちを繰り返す危険があると警告した[9]。
同書はアメリカの林業行政に大きな影響を与えた。後に合衆国林業部長官ナサニエル・イーグルストンが1896年に「『人と自然』こそがアメリカ人を破壊的な森林利用から目覚めさせ、別の道を選ぶ必要性に気づかせた」と述べるほど、森林保全論議の礎となった[10]。
科学的警鐘:F・B・ハウ
その十年後、医師・博物学者のフランクリン・ベンジャミン・ハウ(Franklin Benjamin Hough、1822〜1885)は、ニューヨーク州勢調査(1865年)のデータを分析する中で木材資源の減少が続いていることに気づき、その後の全国調査でもこれを裏づけた。1873年8月、ハウはメイン州ポートランドで開催されたアメリカ科学振興協会(AAAS)の年次大会において「森林保護に関する政府の責務(On the Duty of Governments in the Preservation of Forests)」と題する論文を発表し、地中海諸国の事例も引きながら、このまま乱伐が続けば合衆国でも同様の破滅が待ち受けていると論じた[11]。
AAAEはこの訴えに賛同し、議会への働きかけを担う委員会を設置してハウを委員長に任命した。その成果として連邦議会は1876年に農務省内に「特別調査官」の職を設け、2,000ドルの予算をつけてハウを任命した。ハウはその後、国内の森林・林業の実情を網羅的に調査した大部の『林業報告書(Report on Forestry)』を刊行し、産業革命最盛期における連邦レベルの森林政策論議の礎を築いた[12]。
市民運動:アメリカ林業協会の創設
同時期の1875年9月、医師・園芸家のジョン・アストン・ウォーダー(John Aston Warder)らが、イリノイ州シカゴに「アメリカ林業協会」(American Forestry Association、現・American Forests)を設立した。これは北米で初めて「森林保全を目的として組織された市民団体」であり、森林に関する情報収集・普及と既存森林の保全促進を目的とした[13]。
同協会は1882年にアメリカ林業会議(American Forestry Congress)と合流して全国的な影響力を持つ組織となり、森林保全を求める世論形成へと中心的役割を持つことになる。
森林局創設:ピンショーとルーズベルト
1905年の森林局創設に最も直接的に貢献した人物は、ギフォード・ピンショーとセオドア・ルーズベルト大統領の二人である。
ピンショーはイェール大学を卒業後にヨーロッパへ渡り、フランスの国立林業学校(École nationale des eaux et forêts)で当時まだ合衆国にはなかった科学的林業を学んだ。帰国後は民間の森林地(ノースカロライナ州バンデルビルト邸のビルトモア・エステート)で近代的森林管理を実践し、その実績が評価されて1898年に農務省林業部長官に任命された。ピンショーは議会での多数派工作を着実に進めながら、「科学的管理(conservationism)」の理念を社会に広めた[14]。
ルーズベルトは大統領就任(1901年)当初から保全政策に強い関心を持ち、ピンショーを非公式顧問グループ「テニス・キャビネット」の一員として信任した。二人の連携は1905年の「アメリカ林業会議」を通じて結実した。同会議はワシントンD.C.で開催され、連邦政府のすべての森林業務を農務省に統合することを求める決議を採択した[15]。
ルーズベルト大統領は1905年の2月1日に「移管法(Transfer Act of 1905)」に署名し、森林局が誕生した。大統領在任中(1901〜1909年)、ルーズベルトは国有林・国立公園・野生動物保護区を含む約2億3,000万エーカーの公有地を保護指定し、合衆国史上最も積極的な保全政策を推し進めた大統領として知られる[16]。
進歩主義運動との合流
森林局の設立は、20世紀初頭の「進歩主義運動(Progressive Era)」の時代精神とも深く結びついていた。進歩主義者たちは、産業化がもたらした社会・環境問題に対して、訓練された専門家による「科学的・効率的な行政管理」が解決をもたらすと信じた。森林局はこの思想の象徴的組織であり、「科学・効率・専門職化・清廉さ」を組織理念として掲げた[17]。ピンショーはイェール大学に林業大学院を創設(ピンショー家が15万ドルを寄付)し、専門職としての林業の社会的地位を確立するため「アメリカ林業士協会(Society of American Foresters)」も同年設立した。
連邦林業行政の黎明期(1876〜1904年)
連邦レベルの森林行政の起源は1876年に遡る。この年、連邦議会は農務省内に「特別調査官室」(Office of Special Agent)を設け、フランクリン・B・ハウを連邦初の林業調査官として任命した。ハウは国内の森林状況、木材消費量、森林保全の最善策、気候への影響などを調査・報告することを求められた[18]。
1881年、農務省はこの調査官室を「林業部」(Division of Forestry)に格上げし、ハウが初代部長に就任した。同部は1886年に恒久的な組織として認定された。その後、1891年に連邦議会が「森林保護区法」(Forest Reserve Act、別称:Creative Act)を制定し、大統領が連邦所有地を「森林保護区」として指定・保全する権限が付与された[19]。
1898年、ギフォード・ピンショーが農務省林業部の第4代部長に就任した。当時、森林保護区は内務省の管轄下にあり、農務省の林業部は管理対象の森林を持たない状況にあった。ピンショーはこの分断状況を解消すべく、議会への働きかけを続け、管理権限の農務省への移管に精力的に取り組んだ[20]。
森林局の創設(1905年)
1905年2月1日、セオドア・ルーズベルト大統領が「移管法」(Transfer Act of 1905)に署名し、6,300万エーカー以上の森林保護区が内務省から農務省へ移管された。これにより農務省内の林業局(Bureau of Forestry)が「アメリカ合衆国森林局」(United States Forest Service)に改称され、ピンショーが初代長官(Chief)に任命された[21]。
ピンショーは「最大多数の最大幸福、そして長期的な視点で(for the greatest good of the greatest number in the long run)」という功利的哲学のもと、国有林の管理体制を専門職化・組織化した。彼の在任中(1905〜1910年)に国有林は32か所から149か所へと大幅に拡大し、その総面積も1億9,300万エーカーにまで増加した[22]。
管理理念の発展(1911〜1960年代)
1911年、「ウィークス法」(Weeks Act)が制定され、農務長官が洪水・火災防止を目的として荒廃した森林地帯を購入する権限が与えられた。これにより、東部地域への国有林拡大が可能となった[23]。
1960年、「多目的持続収益法」(Multiple-Use Sustained-Yield Act、MUSYA)が第86回連邦議会によって可決され、アイゼンハワー大統領が署名した。同法は国有林が野外レクリエーション、野生生物保護、木材生産、牧草地管理、水源保護という5つの目的のために管理されるべきことを法律上明確に定めた初めての立法であった[24]。
1964年には「ウィルダネス法」(Wilderness Act)が成立し、当初54か所(約910万エーカー)の地域を標準的な多目的管理から除外した「ウィルダネス地区」として保護し、国家ウィルダネス保護システム(National Wilderness Preservation System)の枠組みを確立した[25]。
現代の課題(1970年代〜現在)
1970年の「国家環境政策法」(NEPA)の制定を皮切りに、公有地管理に対する国民の関与が法制度上も求められるようになった。1976年には「国有林管理法」(National Forest Management Act)が制定され、森林局に対して持続的収益に基づく木材収穫と、10年ごとの土地管理計画の策定が義務づけられた[26]。
近年は山火事の大規模化・激化、気候変動、予算削減が大きな課題となっている。2024会計年度には約7億5,000万ドルの予算不足が生じた。2025年、トランプ政権下でトム・シュルツ長官は大規模な組織再編を発表し、研究施設の閉鎖、地域事務所の統廃合、本部のワシントンD.C.からソルトレークシティへの移転などが計画された[27]。
任務と機能
国有林の管理
国有林システム(National Forest System、NFS)は森林局の中核的な責務であり、154の国有林(約1億8,850万エーカー)と20の国有草地(約380万エーカー)、および110の付属地域を含む[28]。主に西部に集中しているが、東部においても他の連邦機関を合わせた管理面積を上回る規模の連邦有地を管理している。
主要な管理領域は以下のとおりである。
- 木材生産・林業 :持続的な木材収穫と森林更新。
- 放牧管理 :国有林における家畜放牧の許可・管理。
- 野外レクリエーション :ハイキング、キャンプ、釣り、狩猟など多様なレクリエーション機会の提供。
- 水源保護 :集水域の保全と水質管理。
- 野生生物生息地の保護 :絶滅危惧種を含む多様な野生生物の生息環境維持。
- 鉱業・エネルギー開発の監督 :連邦規制のもとでの資源開発管理。
調査研究
森林局の研究開発部門は世界最大規模の自然資源研究機関の一つとされており、森林生態系、気候変動、野生生物など幅広い分野の研究を行っている[29]。
州・民間・部族の林業支援
国有林以外の土地(州有林、民有林、部族有地など)の管理を支援する部門であり、防火、森林病害虫対策、都市林業プログラムなどを通じて民間・州・部族のパートナーと協働する。
山火事管理
山火事の抑制・予防・管理は森林局の最も重要な業務の一つである。スモーキー・ベアを象徴とした一般向け防火啓発キャンペーンは1944年に始まり、今日まで続いている[30]。気候変動に伴う山火事の大規模化を受け、現在は生態系を考慮した計画的な野焼き(prescribed burns)や燃料管理も重視されている。
組織構造
森林局の本部はワシントンD.C.のシドニー・R・イエーツ・ビルに置かれており(移転計画が進行中[31])、本部の下に以下の5つのプログラム部門が設置されている[32]。
- 国有林システム(National Forest System)
- 公有地管理を担当する。
- 調査研究(Research and Development)
- 自然資源管理を支援する研究活動を行う。
- 州・民間・部族林業(State, Private, and Tribal Forestry)
- 国有林システム外の土地管理を支援する。
- 管理部門(Administration)
- 機関全体の行政事務を担う。
- 国際プログラム(International Programs)
- 米国外での調査・支援活動を行う。
現場レベルでは、全国が9つの行政地域に区分され、各地域のトップである地域林務官が複数の国有林を統括する。その下に各国有林の監督官(Forest Supervisor)、さらに現場のレンジャー区(Ranger District)を担当する区担当官(District Ranger)が配置されている。
主要関連法規
- 森林保護区法(Forest Reserve Act、1891年):大統領に連邦地を森林保護区として指定する権限を付与。
- 移管法(Transfer Act of 1905):森林保護区の管轄を内務省から農務省へ移管し、森林局を創設。
- ウィークス法(Weeks Act、1911年):東部における国有林拡大を可能にした。
- 多目的持続収益法(Multiple-Use Sustained-Yield Act、1960年):5つの多目的管理を法制化。
- ウィルダネス法(Wilderness Act、1964年):国家ウィルダネス保護システムを創設。
- 国家環境政策法(National Environmental Policy Act、1970年):環境影響評価と公衆参加を義務化。
- 国有林管理法(National Forest Management Act、1976年):持続的な木材管理と10年ごとの計画策定を義務化。